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小泉城(3) ~ 古河公方感状

 小泉城の第3話です。

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 土塁の北西の角「D」の部分です。

*鎌倉公方となった足利持氏は、自らの父を殺した関東管領への恨みを忘れることが出来ませんでした。

 持氏は、管領を急襲して殺害しましたが、管領与党の逆襲にあい、鎌倉を放棄せざるを得なくなりました。


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 「D」の角を曲がると、西側の堀が見えてきました。

*足利持氏は、古河へ本拠を移し、古河公方となり、関東管領との抗争を継続させました。

 両者は一旦和解したものの・・・


小泉城
*持氏が亡くなると、その子政氏が第二代古河公方となりました。

IMG_7574.jpg
 「D」から南へ伸びる土塁を西側から撮影しました。

 西側には水掘りがあり、防御力は高かったと思われます。

*その頃、関東管領山内上杉氏と、同族の扇谷上杉氏の抗争が開始されました。

 「長享の乱」です。


IMG_7576.jpg
 「E」の遮蔽土塁です。

*古河公方足利政氏は、扇谷上杉氏と提携しすることにしました。

 結果として、管領山内上杉家との抗争が再燃してしまいました。


IMG_7577.jpg
 「E」の遮蔽土塁は長いです。

 本丸を囲む郭が広い為、攻城兵が侵入しても、全体を制圧されにくいように仕切ったのだと思われます。

*小泉城の富岡氏は、古河公方配下として、山内上杉氏の武井城攻めに加わったようで、そのさいの感状が残されています。

 富岡主悦殿

 去る十五日、武井城攻めの時、忠節に至ったことは神妙である。戦功を書状にて賞するものである。

 1493年4月17日 足利政氏(第二代古河公方)


IMG_7579.jpg
 「E」土塁と、本丸堀の間の狭まった箇所には、門が設けられ、小口となっていたことでしょう。

 また、小口を突破しようとする攻城兵には、本丸からの射撃を加えることが出来るようになっています。

 「小泉城第4話・武田勝頼来襲」へ続く・・・

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