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小泉城(1) ~ 結城分流

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年8月30日、お城仲間のМさんと小泉城に行って参りました。

小泉アク

 群馬県邑楽郡大泉町城之内にあり、残存部は城之内公園として整備されています。

IMG_7550.jpg

 城之内公園・災害時避難場所の表示があります。

 戦国時代、敵兵が略奪をしにくるという「災害時」に住民が、城へ避難したとされています。

 戦国時代も、現代も同じ役割を担っているわけですね。

IMG_7555.jpg
 戦国期に拡張され、総構えのある大城郭であったとこことですが、残存するのは緑で示された部分のみの様です。

小泉城

 現地掲載図面からおこしました。

 北側は、「あ」がメインの通路で、「い」が伏兵出撃路兼退却路として存在したのではないかと思います。

*室町後期には、鎌倉公方足利持氏と関東管領上杉氏の対立が起こり、中央政権が関東管領側についた為、鎌倉公方足利持氏は四面楚歌の中、自刃しました。

 しばらくして、結城氏が足利持氏の遺児を奉じて、反乱を起こしました。


IMG_7559.jpg
 「あ」から、「A」の北側の堀を撮影しました。

*城兵1万に対して、討伐軍は10万。

 1年の抵抗の後、結城城は落城してしまいました。

 結城家当主氏朝と弟の久朝は戦死してしまいましたが、久朝の子は乳母に抱かれて、城を抜け出し、群馬県の富岡地区に匿われました。


IMG_7561.jpg
 土塁に登りました。

*久朝の子、尚光は、世をはばかり、結城の名を捨て、富岡尚光を名乗りました。

 その後、足利持氏の遺児成氏が鎌倉公方に就任しました。


IMG_7562.jpg
 土塁上を西へ進み、「A」を撮影しました。二郭にあたる部分ですね。

 兵舎を建てるのに充分な面積があります。

*足利成氏は権力を握ると、結城城で自分を支えてくれた人たちへの恩に報いようとしました。

 自分の為に命を落としてくれた結城氏の遺児、富岡尚光を召しだし、この地へ所領を与えました。

 富岡尚光が、この地に居館を構えたのが小泉城の原型ではないかとされています。


IMG_7563.jpg
 土塁上を更に西へ進むと、土塁は左へ折れ曲がっています。

 その先でも土塁は更に屈曲を続けており、小泉城で一番凝った構造になっています。

 「小泉城第2話・伏兵出撃路か」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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