HOME   »  中世城郭  »  江田館(1) ~ 鎌倉攻め戦功

江田館(1) ~ 鎌倉攻め戦功

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年8月30日、お城仲間のМさんと江田館に行って参りました。

江田館アク
 群馬県太田市新田上江田町924-1にあります。

IMG_7486_20140902154858e96.jpg
 江田館は、西側の守りを低湿地に託した縄張りとなっています。

*江田館の創始は、鎌倉時代であると考えられています。

IMG_7504_2014090215590609e.jpg
 今度は先ほどと反対側、北側から撮影しました。

*鎌倉末期の城主は、新田家分流江田氏の江田行義であったと伝えられています。

江田館
 「本郭と二郭はよく残っているが、その周囲の残存度は低い」と聞いていたので、周囲は見て回りませんでした。

 本郭と二郭以外は、複数の古図面をミックスさせ、自分の想像を付加して、イメージ図を作製しました。

*鎌倉時代末期、新田義貞が鎌倉幕府討伐の兵を挙げると、江田行義は討幕軍へ馳せ参じました。

IMG_7503.jpg
 北側から、本郭と二郭の間の堀を撮影しました。

*江田行義は、鎌倉攻撃の際、極楽寺坂を受け持ち、戦功を挙げたということです。

IMG_7502.jpg
 二郭と北郭の接点です。

*鎌倉幕府が滅ぶと、後醍醐天皇が建武の新政を開始しましが、足利尊氏はそれに逆らい武家政権の成立を目指しました。

 足利尊氏は北朝、後醍醐天皇と新田氏は南朝に分かれて両者は抗争をつづけました。

IMG_7484.jpg
 南側から、二郭を撮影しました。

*やがて、新田義貞は北朝軍に敗れて戦死してしまいます。

 南朝の退勢著しい中、江田行義のその後については定かではなく、西国で帰農したとう伝説もあります。

IMG_7483.jpg
 本郭と二郭の間の堀を、南側から撮影しました。

 「F」の奥で、土塁と堀に「折り」がつけられており、土塁に取り付く攻城兵へ横矢攻撃を仕掛けることができるようになっています。

 「江田館第2話・由良四天王」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
スポンサーサイト
Comment
はじめまして!
低空飛行様

 はじめまして、そして、御来訪ありがとうございます。
 加須に江田氏が落ちのびたという伝説が残っているのですね。
 興味深いですね。
 関東のさほど離れていない場所ですね。
 縁者があり、武士をやめることにより、見逃されたのでしょうか?

 いつもご覧頂いていることのこと、嬉しい限りです。
 記事の内容のアップダウンが激しいのですが、見捨てずに暖かく
見守って頂ければ、幸いです。 
江田氏の末裔について
武蔵の五遁さん、はじめまして。いつもブログ拝見しています。
加須市(旧北川辺町)伊賀袋に富士浅間神社があるのですが、そこの石碑によると江田氏はここに落ちのびたようです。いまでも付近に江田家があります。 ご参考まで。
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード