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足利氏館(1) ~ 足利氏発祥の地

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年8月30日、お城仲間のМさんと足利氏館に行って参りました。

足利学校アク

 栃木県足利市家富町2220、鑁阿寺(ばんなじ)の境内がそれにあたります。

 地図には、大日苑と記されていますね。鑁阿寺の別名のようです。

 足利氏館は四方を囲む水堀が残存しています。

IMG_7640.jpg
 東側の堀を、南側から撮影しました。

*平安時代のことです。

 河内源氏の当主「源義家」またの名を「八幡太郎義家」の四男、「源義国」が足利荘を所領としました。

 その子源義康は、ここに居館を構え、足利氏を名乗るようになったということです。

 足利氏の発祥の地ということになりますね。

IMG_7633.jpg
 北側の堀を、東側から撮影しました。

*足利義康は、源頼朝の姪を妻としました。二人の間には嫡男源義兼が生まれました。

 源頼朝が平家打倒の兵を挙げると、足利義兼は、これに呼応し、頼朝と全国を転戦しました。

 鎌倉幕府成立後、源義兼は有力御家人となりました。

IMG_7632.jpg
 北側の門です。

*鎌倉に屋敷を与えられ、鎌倉に常駐するようになり、足利荘の居館の重要性は低下していったのではないかと思われます。

 源義兼は、足利荘の居館に、持仏堂とお堂を建立しました。

IMG_7634.jpg
 西側の堀を、北側から撮影しました。

*源義兼の戒名が「鑁阿」であったため、「鑁阿寺」と呼ばれるようになったということです。

 持仏堂には大日如来が大日如来が奉納されたため、別名が「大日苑」となりました。

IMG_7635.jpg
 西側の門です。

*その後、足利尊氏が室町幕府を成立させ、関東に足利の分家・鎌倉公方を置き、南北朝の争いが収まると、しばらくは世の中の安定を見ました。

 室町幕府は、鎌倉公方を補佐させるために関東管領を置きました。

IMG_7636.jpg
 「西門」は、栃木県指定文化財であるということです。

*西門が改修されたのが、1432年ですね。

 この年は、関東管領上杉憲実に足利荘が与えられた年ですね。

 関東管領が「私は足利家を支ますよアピール」をするため、足利氏発祥の地の寺に、大金を投じて、改修を行ったのだと思われます。

IMG_7625.jpg
 こちらは館内から撮影した東門です。

 「足利氏館第2話・足利義昭再建門」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「栃木の城」
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