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岩松館跡 ~ 没落と歌三昧

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年8月30日、お城仲間のМさんと岩松館跡に行って参りました。

岩松館アク
 群馬県太田市岩松町609番地、青蓮寺境内がそれにあたります。

IMG_7542.jpg
 青蓮寺の山門です。

*岩松館跡は、岩松氏の居館であったとされています。

 足利義純は、足利宗家の子でありましたが、正妻の子ではなかったため、新田氏のもとで育てられました。

 やがて、正妻の子ができると、「足利家とは関係ない!」と言われて、養父のもと、新田義純を名乗りました。

 岩松郷に居を構えたことから、岩松氏と称するようになったようです。


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 この解説版では、足利家の祖義国もここに住んだ時期があるとしていますね。

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 青蓮寺の本堂です。

*南北朝期になると、新田宗家は南朝側につき、没落していきました。

 岩松氏は新田を称するものの、元は足利の血筋ですので、北朝の足利家との関係を維持し、新田宗家に代わり、世良田氏と共に、新田荘の支配権を得たようであります。

 1361年、畠山国清が伊豆で反乱を起こした際の鎮圧軍に、岩松直国の名前があります。

 その後、鎌倉公方足利持氏が中央政府よりの自立を目指して蜂起するも、四面楚歌の中自刃するという事件が起こり、鎌倉府は断絶してしまいました。

 9年後に持氏の遺児成氏を頂いて、鎌倉府は再興されるのですが、その再興運動の中心をなしたのが、岩松持国でありました。(七宮氏著:下野小山・結城一族)

 岩松家が大きな発言権を持っていたことがうかがえます。   


IMG_7544.jpg
 青蓮寺は、足利義国が建立したと言い伝えられているようです。

*さて、岩松氏は室町期をとおして、勢力を維持しておりましたが、やがて、親子の相克による、内部分裂が生じてしまいました。

 その相克を仲裁する形で、重臣の横瀬氏が権力を増大させました。

 1494年岩瀬尚純は、横瀬氏との抗争に敗れ、家督を子の昌純に譲り引退してしまいました。

 昌純は、まだ、幼かったため、後見の横瀬氏が実権を握ったのでした


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 青蓮寺の東に小さな公園があります。尚純萩公園です。

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 公園には、岩松尚純とその妻の墓があるということです。

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 これが墓石のようです。

 権力を奪われながらも、領内にとどまり続けたのは、子の成長と、子の昌純による権力回復を見届けたいと思ったからでしょうか?

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*しかし、実際の尚純は、岩松館で和歌にいそしみ、権力闘争とは無縁の晩年を送り、この地で亡くなったようです。

 やがて、子の昌純は横瀬氏に殺され、足利と新田の流れを汲む岩松氏は完全に没落してしまいました。


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