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大給城(1) ~ 武田迎撃最前線か?

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年7月26日、お城仲間のMさんと大給城(おぎゅうじょう)に行って参りました。

 愛知県豊田市大内町城下にあります。

松平氏城郭アク

 徳川家が、武田家に追い詰められていた時代・・・

 徳川家の東の拠点は浜松城で、西の拠点は岡崎城でした。

 その西の拠点岡崎城と、武田の傘下となった足助城の丁度中間地点にあるのが大給城でした。

 岩津城はその頃廃されていたため、大給城の果たす役割は重要でした。

 大給城は、武田が岡崎へ迫るのを阻止すべく大規模な改修を受けたのではないかと私は推察しております。

大給アク
 伊勢湾自動車道「豊田松平インター」を降りて、国道301号を東へ進み、国道が狭い谷へ入って間もなく右に看板がありますので、指示に従って右折するとほどなく登り口へ到着します。

IMG_7077.jpg
 登り口です。

 このあたりで道幅が広くなっており、車を停めても迷惑がかからなさそうだったので、停めさせていただきました。

IMG_7080.jpg
 数分で尾根筋に達します。何やら看板がありますね。

 大給城は、大給松平氏の城ですが、その大給松平氏の始祖「松平乗元」の墓があるということです。

IMG_7079.jpg
 立派な囲いがあります。

 松平家第三代当主信光の三男がこの地を与えられ、分家の大給松平家を創始したのですね。

IMG_7081.jpg
 このサイズということは、往時のものではないですね。子孫により立てられたのでしょう。

 ここから尾根筋を西へ進みます。

IMG_7087.jpg
 国指定史跡、松平氏遺跡、大給城とあり・・・ その背後には・・・

IMG_7084.jpg
 巨大な堀切がうがたれています。

 「大給城第2話・小口の背後から」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「愛知の城」
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Comment
Re: お邪魔します。
Butch様 御来訪ありがとうございます。

 大給城は、本当にそそる城ですよね。
 よく考えられた縄張りで、防御力も高いと思います。
 足助、恵那方面もまわられたのですか、うらやましい限りです。

 今日は久しぶりにお城日和ですね。
 ですが在庫がたまってしまっているので、泣く泣く盛岡城のお絵かきをして過ごしておりました。
 それを見た女房子供から、家にいるのならと買い物のアッシークンとして駆り出され・・・
 任務終了後に、また、お絵かきです。
 石垣の城はデッサンに矛盾があると目立つので、難しいですね。
お邪魔します。
こんにちは、土の城派も萌える面白い城ですよね~
3年程前に松平郷~足助~恵那方面の城を5日間の日程で楽しく廻りました、次は地勢をしっかり頭に叩き込み是非再訪したく思っています。

大給城は南の狭谷地に城下を設けた気配も?導入路も南側から主郭部下を引き回し東虎口へ?とも感じました、五遁様の解釈が楽しみです。
この辺の城は当時の状況を不勉強の為、どちらの勢力方向に対しての縄張りなのか??です。
近くの松平城山城、市場城等、縄張りとパーツのアンバランスさも面白いです。本能寺から小牧・長久手までの緊張時の改修もかなりあったのではと感じるのですが・・・
それではまたお邪魔いたします、失礼いたします。
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