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岡崎城(7) ~ 幕末まで存続

 岡崎城の最終話です。

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 本丸には、模擬天守が設置されています。

 昭和34年に建設されました。鉄筋コンクルート製です。

*織田との同盟のもと、徳川家康は三河を平定しました。偉大な祖父に並んだことになります。

 1568年には遠江へ侵攻し、本拠を浜松城へと移しました。


IMG_7232.jpg
 解説版ですね。

*岡崎城には、家康嫡男の信康が入り、城主を務めましたが・・・

 敵の武田に内通した咎で、自刃させられてしまいました。

 その後、岡崎城はに城代制がしかれ、石川数正、ついで本多重次が城代を務めました。


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 松が写り込まないアングルは無いものかと頑張りましたが、難しいようです。

 天守の中には様々な展示物がありましたが、撮影禁止でした。

*1590年、徳川家康が関東へ移されると、田中吉政が入城し、岡崎城を拡張、整備しました。

 田中吉政は秀吉子飼いの武将でした。

 同年8月25日には、奥州仕置を終えた秀吉が京都への凱旋の途中、岡崎城に立ち寄っています。


IMG_7235.jpg
 最上階は撮影禁止ではありませんでした。

*1600年、関ヶ原の戦いで勝利を収めた家康は、岡崎城に譜代の本多氏を配しました。

 1615年、大坂の陣で豊臣家を滅ぼすと、徳川の天下が確定しました。


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 岡崎の市街地が360度、見渡せます。

*今川家の人質から天下人にまで上り詰めた家康の胸中は感慨無量であったことでしょう。

 1645年、家康の母の実家であった、水野家が岡崎城に配されました。


水野
 水野家の頃の「岡崎城図」です。

*それ以降、松平家、本多家と城主が変遷し、幕末まで岡崎城は存続しました。

IMG_7215.jpg
 北側からの天守の写真でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「愛知の城」
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