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岡崎城(3) ~ 守山崩れの悲劇

 岡崎城の第3話です。

 今度は城の北側に来ました。

IMG_7207.jpg
 「二の丸」の北側の堀です。

*家康のグレート御爺ちゃん、松平清康は三河を平定すると、翌1530年には尾張へ進出し、織田家の領地を蚕食しました。

岡崎城
 「東郭」周辺の堀は消滅していましたが、古図面から起こしてみました。

*5年後の1535年、松平清康は1万の兵を引いて、尾張守山城を囲みました。

 ところが清康は家臣により斬殺されてしまいました。

 享年25歳。松平家第一次黄金期を創出した英雄のあっけない最期でした。


IMG_7206.jpg
 「東郭」と「二の丸」の間には、塀と門が復元されています。

 悔しいですが、土の城より写真映えしますね。

*主将を失った松平勢は散を乱して敗走しました。

 世に言う「守山崩れ」です。


IMG_7208.jpg
 門をくぐり、二の丸に入りました。

 何か見えますね・・・ 

*松平家の当主には、嫡男の広忠がおさまるのが道理でしたが。

 分家の松平信定が、岡崎領を横領し、専横を始めました。

 (清康の死は、信定による姦計であるとの説が有力です)


IMG_7205.jpg
 岡崎公園の案内図ですね。

 初めに紹介させていただいた赤い橋が描かれています。

*家康のお父さん広忠は、三河を逃れ、今川家を頼りました。

 そして、今川家の後ろ盾で、どうにか岡崎城へ戻ることができたのは、1540年のことでした。


IMG_7209.jpg
 二の丸では、家康の忠臣にして、徳川四天王の一人「本多忠勝」が、代名詞の「蜻蛉切」を携えてお出迎えです。

 武田マニアの私を、切り捨てんかのような威容です。

 さて、岡崎城は「二の丸」から「本丸」への通路が屈曲し、なかなか技巧的です。

*これ以降、松平家は、今川家の風下に立たされ続けることとなります。

IMG_7210.jpg
 「C」が丸馬出のように張り出し、その手前に堀がうがたれています。

 「岡崎城第4話・松平竹千代誕生」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「愛知の城」
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