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岩津城(3) ~ 北条早雲来襲

 岩津城の最終話です。

IMG_7172.jpg
 屈曲土橋から「A」へ近づくと、「A」から「本郭」への土橋も見えてきました。

 連続土橋ですね。

岩津城
 「A」から「本郭」へ至る土橋の、両脇の掘は規模が大きく、必見です。

*その後、駿河の今川氏は、遠江の斯波氏を駆逐し、三河をうかがうようになりました。

IMG_7179.jpg
 「A」から「本郭」へ至る土橋をやや東斜めから撮影しました。

*今川氏は、更に家臣の伊勢新九郎盛時をして、伊豆へ侵攻せしめ、その領国化に成功しました。

 今川氏は、甲斐にも侵攻し、その一部を傘下に加えました。


IMG_7174_201408011413048b0.jpg
 正面から・・・

*1508年、伊勢新九郎盛時(一般には北条早雲と呼ばれることが多い)は、甲斐で捕虜とした兵士を連れて、岩津城に攻めよせました。

IMG_7182.jpg
 本郭から振り返って・・・

 すみません・・・ この城最大のビューポイントなもので・・・・

*この時、岩津城は落城したとも、安祥城から援軍がきて、敵を撃退したとも言われています。

IMG_7181.jpg
 本郭です。

 松平宗家の城であっただけに、きっちりと削平されてますね。

*「新編岡崎市史」によると、岩津松平一族のほとんどが、この時討ち死にしていることから、岩津城は落城したと推察しています。

IMG_7184.jpg
 腰郭の「D」の部分です。

 腰郭郡もゆっくり踏査したかったのですが、藪蚊の集中攻撃を受け、この写真を撮るので精一杯でした。

*岩津城は落城したものの、安祥松平氏の攻勢があり、伊勢新九郎盛時は岩津城を維持できず、やがて退却したと見るのが妥当なようです。

(北条氏は初代早雲から自立していたと誤解されがちですが、初代盛時(早雲)は終生伊勢の名乗りを変えず、今川の傘下でありました。今川から自立し、北条を名乗ったのは二代氏綱からであります。)


IMG_7185.jpg
 岩津城址碑です。

IMG_7165.jpg
 岩津城付近から撮影した風景です。広大な平地が広がっています。

 この日は、松平郷に行ってから、岩津城に参りました。

 松平郷は狭い谷が延々と続き、耕作地の確保が厳しい様子でした。

 そのあとで、この景色を見たら、松平氏の平地進出は長年の悲願であり渇望であったのだなと実感できました。

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