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さった山陣場(1) ~ 1万8千武田VS北条四万5千

 みなさん、こんにちわ。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成26年7月17日、お城仲間のMさんと、さった山陣場に行って参りました。

さった山陣場全体図
 静岡県静岡市清水区さった山の北方に、遺構が分布しています。

IMG_6984.jpg
 さった峠です。

 東海道の難所の一つで、戦乱の時代、敵の攻撃をさった峠で食い止めることは大変重要でした。

IMG_6985.jpg
 さった峠は、富士山の眺めが有名ですが、この日はうっすらとしか見えませんでした。

 さった峠を押さえるために、さった山陣場が構築されたと思われます。

 さった山陣場が使用された合戦は・・・

 1 足利尊氏布陣
  南北朝期、足利尊氏がさった山陣場に布陣し、富士川方向から攻めよせた弟の直義と対陣。
  足利尊氏は味方の宇都宮氏に、直義の背後を突かせ、直義は敗走・・・

 2 今川勢布陣
  戦国期武田信玄が富士川沿いに南下し、東海道を西進。
  今川勢はこれを迎撃すべく、さった山陣場に布陣。
  しかし、今川勢には信玄の調略の手が伸びており、今川勢は裏崩れを起こして敗走・・・
  信玄は駿府を占拠。

 3 北条氏政布陣
  信玄駿府占拠の報を受けた北条氏政は大軍をもって小田原を発し、東海道を西進した。
  信玄はこれを食い止めるべく、興津川西岸の横山城に布陣。
  北条氏政は、さった山陣場に布陣。
  にらみ合いが続くも、信玄は甲斐に帰陣。


*さった山陣場が、西側の敵と対峙したのは「3」の時だけですので、西側の遺構群は信玄と対峙した北条勢による普請であると推察されます。

 3の信玄と北条の対陣の話から始めます。

IMG_6859.jpg
 武田信玄が陣を構えた横山城の麓に立ち、興津川を撮影しました。

 川の手前側が武田の勢力圏、川の向こう側が北条の勢力圏であったと思われます。

IMG_6857.jpg
 横山城から東側を撮影しました。

 北条の陣場が多層的に配されているのが見て取れます。

 手前側の陣場は、対陣しながら構築されたのだと推察されます。

 山々には北条の旗がたなびいていたことでしょう。

IMG_6953.jpg
 横山城に一番近い、承元寺遺構に来ました。地名からそう呼ばせて頂きます。

 北側から撮影しています。

 「か」の郭を制圧した攻城兵は、「堀切」で停滞を余儀なくされ、「お」からの頭上攻撃にさらされます。

 「堀切」は、「静岡県の城跡」の記述によります。私の妄想では有りません!


さった山陣場承元寺遺構
 上の写真は北側から撮影しましたが、このイメージ図は南側からです。

 左右逆になります。判りにくくて申し訳ありません。

 「う」の部分は、対岸の横山城を見下ろすビュースポットとなっています。

IMG_6942.jpg
 「う」から撮影した横山城の遠景です。

 信玄が、ここを攻めようとしたら、かなり登らなくてなならないことが実感できます。

 信玄もうかつに攻めることはできず、対陣が長引いたのだと思われます。

 「さった山陣場第2話・比高25Mの塁壁」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
 
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