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箕輪城(6) ~ 井伊直政入城

 箕輪城の第6話です。

 これから、御前郭と本丸の西側の堀底を進んでまいります。

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 堀底を進む攻城兵は、三方向の頭上からの射撃にさらされます。

*1582年、武田家が滅亡すると、内藤昌月は織田家重臣滝川一益の配下となりました。

 同年、本能寺の変に織田信長が倒れると、北条氏は滝川一益を上野から追い出しました。



箕輪城
 もし、攻城兵が通仲郭や通仲南を制圧しても、堀がこれだけ深いと、本丸攻撃への足がかりになりにくいですね。

*内藤昌月は箕輪城を北条氏へ差し出し、その配下となる以外生き残る道はありませんでした。

 北条氏は親族衆の北条氏邦を箕輪城主に据えました。


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 カーブを曲がりました。

 御前郭のたもとに掲示板がありますね。

*その後、中央では豊臣政権が確立され、北条氏へ圧力をかけてくるようになりました。

 箕輪城はこの時も大規模な追加普請が行われたと思われます。


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 土止めの石垣です。

*1590年、箕輪城は、豊臣秀吉配下の、前田利家、上杉景勝、真田昌幸らの軍勢に囲まれました。

 軍勢は北条氏の本拠小田原城へ集められており、箕輪城に残された兵士はごくわずかでした。

 大軍を前にして、小勢ではいかんともしがたく、箕輪城は開城しました。


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 更に堀底を南へ進みます。

*北条家の本拠小田原城も落城し、北条氏と内藤昌月は没落してしまいました。

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 御前郭と本丸の間の堀を見上げることができます。

*箕輪城は徳川家重臣井伊直政へ与えられました。現在残る箕輪城の遺構は井伊直政の時代のものです。

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 本丸と、蔵屋敷の間の部分に堀が浅くなっている部分があります。

 随分昔に参加した現地説明会の説明では・・・

 人為的に堀を埋め、盛り土をした形跡がある。

 井伊氏の時代にここへ橋をかけるために、橋脚台として盛り土をしたと推定される。

 非破壊検査の結果、北条氏の頃の堀底は現状の更に10メートル下にあることがわかったとのことでした。


 個人的には、10メートル掘り起こして頂き、その堀底に立ってみたいと思ってしまいます。

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 本丸堀の橋台と表示されています。

 実は昨年、ここに橋と本丸小口門を復元する計画が発表されました。

 今年度着工で、5年後に竣工予定ということでしたが、未だに着工していないようです。

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 南側、三の丸方向から見た方が、橋台の盛り土感が感じられますね。

 戦国が終わり、防御性よりも通行の利便性を優先したのでしょう。

 「箕輪城第7話・三の丸見せ石垣」へ続く・・・

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