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箕輪城(3) ~ 上杉謙信越山

 箕輪城の第3話です。

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 木俣西から、馬出へ、土橋が伸びています。

*北条氏配下となった長野業正に関する記録は見られないのですが、後に長野業正が北条から離反しているため、北条氏から冷遇されていたのかもしれません。

箕輪城
 木俣と、二の丸・三の丸は、大堀切により、完全に遮断されており、馬出し経由でしか通行できません。

 木俣西から馬出への土橋には、二の丸、三の丸から横矢攻撃がしかけられるように工夫されています。

*1560年、長尾景虎(上杉謙信)が、上杉憲正を奉じて関東に出兵すると、長野業正はいち早くこれに呼応したものと思われます。

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 馬出にせまってきました。ここに門が設置されていたであろうと考え、書き入れてみました。

*上杉謙信の関東侵攻時に参陣した武将の名簿「関東幕注文」には、箕輪衆の筆頭に長野業正が記され、その傘下に漆原氏、高田氏、和田氏、倉賀野氏、依田氏等の名前があります。

 興味深いのは地域的には吾妻郡にはいる大戸氏や羽尾氏の名前も入っていることです。

 地域として衆を構成したのではなく、主従関係で衆を構成したのだと思われます。


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 更に進むと、今度は馬出と、二の丸をつなぐ土橋が見えてきました。連続土橋ですね。

*上杉謙信は北条氏の本拠小田原城を囲みます。

 北条氏康は同盟する武田信玄へ援軍を要請しました。

 援軍の条件として、「武田家による、西上野切り取り次第」が提示されたものと思われます。


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 来た道を振り返りました。大堀切の深いこと深いこと・・・ 幅も半端ないですね。

*謙信は小田原城を落とすことが出来ず、越後へ撤退しました。

 信玄はその混乱に乗じ、上野南西の 「砥沢城」 を確保し、元国峰城主の小幡憲重を入れました。


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 馬出です。馬出内で撮影すると当然のことながらアングルに収まりきりませんね。

 「箕輪城第4話・武田信玄の攻勢」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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