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箕輪城(2) ~ 管領憲正追放

 箕輪城の第2話です。

 前話では、搦手口から桝形を経て二の丸へ至るルートを紹介しましたが。

 今度は、木俣から馬出を経て二の丸へ至るルートを紹介します。

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 木俣です。南東方向の尾根から攻めてきた軍勢と、南西方面から攻めてきた軍勢が合流する地点ですね。

*1546年、関東管領家は川越の戦いで、北条家に大敗し、もはや風前のともしびの状態となってしまいます。

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 木俣東です。

*軍記物には・・・

 関東管領家が、勢力を挽回するために、信濃へ侵攻しようと話し合っていると、長野業政が反対し、「今戦っても負けるだけで、かえって武田信玄を関東に引き込むことになる」と反対した。

 しかし、反対は却下され、管領家は武田軍に惨敗したと記されています。


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 東木俣と、馬出と、二の丸は巨大な堀で隔たれています。

*1552年に、管領家の本拠平井城に近い、御嶽城を北条勢が囲みましたが、管領上杉憲正は援軍を出しませんでした。

 御嶽城はなで切りの落城となってしまいました。

 これには管領配下の武将たちも動揺しました。

 敵に攻められても援軍は来ないのか? なで切り(皆殺し)は嫌だ・・・


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 先ほどの写真の反対側、二の丸から撮影しました。

 夏でも堀が確認できるように整備して下さっている皆様に感謝です。

*長野業正は、上杉憲正を見捨て、北条氏に内応しました。長野氏と婚姻関係にあった諸将もこれに同調しました。

箕輪城
 馬出の、図、手前側が本気の防御空間ですね。

*長野業正系諸将の大量離反により、上杉憲正は本拠平井城を維持できず、北上野の 「石倉舘」 に避難しますが、そこも維持できなくなると1558年、上杉謙信をたより越後へ落ちて行きました。

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 今度は西木俣へ来ました。木俣の方が一段高くなっていて、木俣から西木俣へ側面攻撃をしかけられるようになっています。

*上杉憲正は、上杉謙信に対し懇願しました。

 わしを関東へ帰してくれれば、上杉の家督も、管領の地位もお主に譲ろう、どうか助けてくれ・・・


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 木俣と馬出の間の堀を今度は横から撮影しました。

 「箕輪城第3話・上杉謙信越山」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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