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箕輪城(1) ~ 日本百名城

 みなさん、こんにちわ。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成26年6月17日、休日出勤の代休が取れたので、箕輪城に行ってきました。

箕輪アク

 群馬県高崎市箕郷町東明屋にあり、日本百名城にも選定されていますので、ほとんどの地図に掲載されています。

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 5~6回目の訪問だと思います。昔、冬に訪れた時は一日かけて全山踏査しました。

 今日は、夕方に所用がはいっていたので、中心部のみの踏査です。

 大規模な遺構が良好に残存しているうえ、攻防の歴史もあり、お城ファンの心をとらえて離さないお城の一つですね。

箕輪城
 自分のスケッチと、時間が無くて今回見れなかった部分は先人の図面を参考に起こしました。

*箕輪城は長野氏の城として有名です。

 しかし、意外なことに長野氏の記録が文献に登場するのは、長尾景春の乱の時が最初です。

 長尾景春の乱、長亨の乱といった、上杉管領家の混乱の中で、急速に台頭してきたものと思われます。


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 搦手口から二の丸桝形を目指し、進んでいきます。

 箕輪城の特徴である「なんじゃこりゃ?!」というほどデカイ堀がもう見えてますね。

*長野氏は長野業正(ながのなりまさ)の代に、政略結婚を推進することにより、与党を増やし、関東管領家の下で強大化していきました。長野業正娘の嫁ぎ先は・・・

 小幡城、国峰城、忍城、山名城、大戸城、和田城、倉賀野城、羽尾城、浜川城、厩橋城、板鼻城、鷹留城とされています。


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 更に登っていきます。この自動車道により、かなり破壊されている可能性がありますね。

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 Bの郭の脇から、Aの郭を見上げています。左奥には枡形が見えていますね。

*長野氏の台頭とは裏腹に、関東管領家は、扇谷上杉家、古河公方家との三つ巴の抗争を延々と継続させることにより、徐々に衰退の道をたどっていきます。

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 Bの郭から北側を撮影しました。腰郭はBの郭よりも一段下がっています。

 本丸との比高差をかせぐためだと思われます。

*三つ巴の抗争の間隙をぬって、漁夫の利よろしく台頭してきたのが北条氏です。

 初代、北条早雲は伊豆を領国化すると相模へ進出し、小田原城を手に入れました。


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 二の丸の桝形へ進みます。

*二代、北条氏綱は、武蔵に進出し、江戸城、川越城を手中にしました。

 また、古河公家と連携することにより、関東管領家を圧迫し始めました。


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 桝形に入ってきました。三方向からの攻撃が可能になっていますね。

 「箕輪城第2話・管領憲正追放」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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