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山梨県白山城② ~ タタミカケ小口!

 白山城の続きです。

IMG_1256.jpg

     更に登っていくと・・・ 本城域です・・・中央が小口・・・ その奥に低い塁壁・・・

 

          小口の背後には塁壁・・・ これが武田系の鉄則です。

hakusan.jpg

 イメージ図を作成しました。先の写真は図、左側の小口です。小口の先の塁壁を描き忘れました。右から食い込んでいる横堀と連動しています。

 

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                         次の小口です。

 

                   左の塁壁からの攻撃を浴びます。

 

IMG_1258.jpg

         その先は、細い通路で、左の塁壁上からの攻撃が続きます。

 

IMG_1259.jpg

     本郭への小口です。進入路が制限されているのがわかります。

 

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          本郭に入りました。掲示板があります。行ってみましょう!

 

 

IMG_1263.jpg

             かなり、イイカゲンなラフ図が掲示されています。

 

   妄想紙芝居作成者の私に、イイカゲンなどと言う権利があるのか? ありません・・・

 

IMG_1264.jpg

      本郭の解説版です。江戸初期に廃城になったと記されてます。そうなのかな?

 


 白山城は、技巧的な縄張りで、武田系山城の教科書と称されることもあります。

 

 放射状の竪掘で、敵の横への移動を妨げるとともに、侵入路を限定させ、その先に小口、小口上の塁壁を置き、敵を迎え討ちます。

 

 白山城が、何時、この様な形態となったのかについて、様々な意見があります。


1 現地解説版説
 新府城の南の守りとして機能していた。


2 冊子「戦国の堅城」説
 天正壬午の乱の前後に武田の残党が築いた。


*極私的意見ですが・・・
 白山城は、技巧的ではありますが、堀幅が狭く、鉄砲大量導入期以降の構築とは、考えにくい・・・ 武田氏は後期には丸馬出しを多用しているが、白山城には丸馬出しは無い・・・ので、1説、2説ともあてはまらないと思います。


 竪掘と小口の関係性は川中島の旭山城に類似しているので同時期の築城と見るのが、縄張り論的には妥当だと思われます。しかし、この時期、武田は信濃の大半を押さえており、甲斐国内に拠点城郭を築く必要性があったのか?・・・といった疑問も残り、今のところは、「謎の城」ということになってしまいます。

 

IMG_1267.jpg

           イメージ図、本郭の右側の郭から、東へ開く小口です。

 

IMG_1275.jpg

         東端の堀です。幅と深さ・・・ さほではありません・・・

 

     私には、どうしても、この城が鉄砲の時代に通用したとは思えないのです。

 

      それなのに・・・ 江戸初期まで使われていたとの記録がある・・・

 

 やはり・・・ 武田信玄期に拠点として整備され・・・ 甲斐国内に緊張がなくなると捨て置かれ・・・ 武田家が滅亡すると・・・ 遺臣の権威を復活させる為に・・・ 徳川氏により再び城として認められ・・・ 代官屋敷の様に使われ・・・ 平和になると・・・ 用済みになった・・・ ?

 

IMG_1279.jpg

                    南から見た白山城です。

 

 この後は、Mさんと一緒に白山温泉に浸かり、夕日に色づいていく、八ヶ岳の白峰を愛でたのでした。

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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