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上原城(2) ~ 信濃侵攻の基点

 上原城の第2話です。

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 遊歩道を進むと、遊歩道はスグに右へ湾曲しています。

 大堀切からつながる竪掘が食い込んでいる為です。

上原城南イメージ図
 岩山ですので、普請は難工事となったことでしょう。

 また、地形の制約もあり、郭の面積が狭いのも特徴ですね。

*上原城は諏訪氏の城でしたが、戦国時代になると、武田信玄の侵攻を受け、諏訪は武田領となります。

  武田信玄は、ここ上原城に重臣板垣信方を置き、信濃侵攻の基点としました。

  1543年4月のことです。

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 大堀切です。

*同年10月、上原城を発した武田軍は伊那福与城を囲み、これを降伏させました。

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 大堀切から下る竪掘の中央には土塁が盛られ、攻城兵の迂回を阻んでいます。

*翌1545年、上原城を発した武田軍は、伊那竜ヶ崎城、次いで筑摩郡熊野井城を攻めました。

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 大堀切を背に進んでいきます。その先の道が湾曲している地点にも竪掘が食い込んでします。

*1548年2月、上原城を発した武田軍は小県上田原で、村上義清軍と合戦に及びました。

 板垣信方は、この上田原の戦いで戦死し、新しい上原城代は室住玄蕃充、次いで長坂光竪(後に出家して長坂長閑斎)と移り変わりました。

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 竪掘りのくびれを通り過ぎて更に進んでいきます。

*同年7月、上原城を発した武田軍は、塩尻峠で小笠原軍を撃破しました。

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 右上を見上げると物見岩が・・・

*1550年、上原城を発した武田軍は筑摩郡で小笠原軍を撃破し、小笠原長時は領地を捨てて、村上義清を頼ります。

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 南西尾根筋の登城路も見えてきました。

 「上原城第3話・かまと石」へ続く・・・

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