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干沢城(3) ~ 武田勢包囲

 干沢城の最終話です。

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 二郭は三段になっています。

*1541年、甲斐でクーデターが発生し、若い武田信玄が当主となりました。

干沢城

*武田信玄は政権への求心力を高めるため、信濃侵攻を企図しました。

 第一の目標地は諏訪です。


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 二郭の南奥に来ました。Aの保塁が見えます。

*武田信玄は、諏訪侵攻に執念を燃やす高遠頼継を利用することを考えました。

 高遠頼継は信玄の誘いに二つ返事で乗ったのでした。


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 二郭とAの保塁は堀で隔てられ、土橋でつながっています。

*高遠頼継と武田信玄が諏訪へ侵攻すると、諏訪頼重は上原城を焼いて、桑原城に籠りました。

 しかし、守兵が逃散してしまった為、降伏のやむなきに至りました。


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 土橋からAの保塁に登りつつあります。

*戦後諏訪は分割されることとなりました。

 西諏訪を高遠頼継が、東諏訪を武田信玄が領有することとなりました。


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 戦闘石なる表示があります。

*高遠頼継は諏訪の西半分では飽き足らず、諏訪上社を含めた諏訪全土を掌握し、諏訪総領家の座を手に入れることを欲したのでした。

 高遠頼継は兵を挙げ、諏訪上社と干沢城を占拠しました。


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 攻め登る敵兵に、この石を投げ落とす予定だったのですね。

*武田信玄が諏訪頼重の嫡男虎王丸を奉じて大軍を発すると、諏訪総領家の再興を願う諏訪衆がこれに呼応しました。

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 解説版です。

*高遠勢は、干沢城を背に、宮川を天然の堀として、武田勢を迎撃しましたが、衆寡敵せず、大敗を喫し、諏訪を退去し、高遠へ逃げ帰りました。

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 本郭です。

*高遠頼継は高遠城にて抵抗を続けましたが、ほどなく武田信玄に膝を屈することとなりました。

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 上原城から見下ろした、干沢城の遠景でお別れです。

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