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図解新府城(17) ~ 武田家滅亡

 新府城の最終話です。

DSCF2824.jpg
 「き」の南側の塁壁です。

新府城南面
 素人が目測でスケッチしただけですので、あくまでも「こんなふうに見える人もいるんだ~」といった感じでご覧いただければ幸いです。

DSCF2823.jpg
 「く」から「き」へ至る小口も食い違いになっています。

DSCF2826.jpg
 「き」に入って、東側を撮影しました。

 このアングルで見ると、往時は「き」から「う」「い」「あ」と続く上り坂通路があり、その通路は本郭からの攻撃を受け続けるといった縄張りであった可能性も感じますね。

DSCF2833.jpg
 「あ」にワープしてきました。先に進むには小口が待ち受けています。

新府城東面
 「あ」から「H」へ至る通路は、こちらの図の方がわかりやすいですね。

DSCF2834.jpg
 小口を進むと、細長い通路が「H」まで続いています。

 本郭からの攻撃にさらされ続ける、最終防衛通路ですね。

DSCF2756.jpg
 「H」の場所です。本郭への小口ですね。

DSCF2767.jpg
 広大な本郭です。

DSCF2757.jpg
 本郭には「藤武神社」が鎮座しています。伝承によると・・・

 武田勝頼が新府城を築いた際、鎮守として祀ったが落城とともに焼失した。

 しかし、徳川家康が再建を命じたということです。

DSCF2764.jpg
 神社の脇には、武田家臣団の霊位が並び立ちます。

 武田ファンとしては、切ないものがありますね。

DSCF2763.jpg
 敬愛申し上げる「馬場美濃」大先生の霊位も・・・

*織田・徳川連合軍が甲斐へ迫る中、勝頼さんは新府城に火を付け、岩殿城を目指しましたが。

 岩殿城主小山田信茂が寝返り、天目山にて自刃することとなりました。

 1582年4月3日のこととされています。


DSCF2765.jpg
 「武田勝頼」さんをお祀りする祠もありました。

*武田ファンとしては、勝頼さんがここで、織田軍を相手に大いに戦った後、自刃するという、武田家当主にふさわしい最期を迎えてほしかったと・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「山梨の城」
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Comment
Re: 楽しませて頂きました!
Butch様 御来訪ありがとうございます。

 おっしゃる通り、高温多湿は体力を奪いますね。昨日は広木大仏城を求めて徘徊をしましたが、全身汗でべとべとになりました。
 「ち」から釜無川へ至るルートがありましたか? 素晴らしい発見です。
 北側の地形を考え合わせると、おっしゃる通り、水堀の中に細道を設定して出構えの脇に接続させたと考える方が自然かもしれませんね。出構えの基部西側に二段襲撃を可能とする遺構がありますので、西側の脇から接続したのかもしれません。
 縄張りについて、様々な可能性を考えるのは、本当に楽しいですね。

楽しませて頂きました!
こんにちは、先日行ってきました、この時期の訪城は冬場の2倍疲れますね~ やはり南側は萌えますね、今回初めて気付いたのですが「ち」の東から七里岩を下り城前寺~釜無川方面へのルートがあったのですね! 以前から何処かにあるのではと見ていましたが、城内からこの方面への出入りが可能となるとこの城の見方がちょっと変わりますね。
出構え~丸馬出しは現地形を見ての自分の想像力では?なのですが(笑)
今回北の台地上から全体をボーっと眺めていて思ったのですが、出構え自体が外枡形か丸馬出しで沼堀の中道を通じた虎口だったのではと、現存枡形に東から通じる道も堀中を通る形に見えますし・・・当初は駿河江尻城の復元図的な物だったのではと想像しました。現状は・・・徳川利用時に遮断のためにか虎口を破壊した際に思いつきか?小銃陣地状に残った物の可能性も???
いろいろな想像が膨らむ楽しい物件ですね。
それでは、今後も好きなお城のレポートが続くようで楽しみです、失礼いたします。
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