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将門塚 ~ 東国の守護神

 平成26年4月某日、将門塚に行って参りました。

 東京都千代田区大手町一丁目2番1号外にあります。

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 地下鉄大手町駅・C4出口を出るとすぐに案内表示があります。

 将門塚は東京有数のパワースポットとして知られています。

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 案内表示のアップです。

 ここから70メートルですからあっという間です。

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 付きました。都旧跡・将門塚の表示があります。

 ひっきりなしに人が訪れ、人が写らないように写真を撮るには、かなりの時間待たなければなりませんでした。

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 解説版その1です。以下、概略を・・

 東国の英雄、平将門公の御首をお祀りしています。

 平安時代後期に、武士の先がけとして、政治改革を行い、弱気を助け、強きを挫くその姿勢は多くの人々からの信奉を集めました。


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 解説版その2です。以下、概略を・・

 平将門公は、京都から派遣された政府の役人の子でありながら、東国の王を名乗り、京都政府に反旗を翻した。

 (中央政府からの簒奪から東国の民を守るという意味合いがあったのでしょうか?)

 一時は関東の大半を手中におさめたが、政府の派遣した鎮圧軍の手にかかり、討死してしまいました。

 将門公の首は京都へ送られてさらされたが、首は自らの胴体を求めて、空を飛び、この地に降りたとの伝説が残されています。

 その後、この地の周辺には災いが続いたため、首を埋めた塚に卒塔婆を立て、かたわらの神田明神にその霊を祀ったので、災いは止み、将門公はこの地の守護神となったということです。


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 旗には、神田明神旧跡地と記されています。

 江戸時代神田明神は、この地から現在の神田へ移されたということです。

 江戸時代、つまり、武士の時代が終わると、天皇を国首とする明治時代が始まりました。

 平安時代に天皇陛下に逆らった賊将、平将門を祀るとは何事か!

 明治政府は神田明神へ圧力をかけ、神田明神の祀神から将門公を外させてしまいました。

 また、将門公の首塚を壊し、大蔵省の仮庁舎を建設するという暴挙に及んだのです。


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 現在、将門公の塚は、高層ビルに囲まれながらも、この地に残っています。

 それにはこの様な理由があるということです。

 大蔵省の仮庁舎が建設されると・・・

 建設関係者、大蔵省の職員に謎の病気や怪我が死が相次ぎました。

 ついに現役大蔵大臣が死に、彼を含め死者は14名を越え、怪我や病気はその何倍にもなったということです。

 事ここに至り、政府は仮庁舎を取り壊し、隣地に本庁舎を立て直しました。

 しかし、将門公の死後1000年にあたる昭和15年、大蔵省庁舎は落雷により全焼・・・


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 政府は、この地に慰霊碑を建て、慰霊祭を行いました。

 これがその時の慰霊碑です。

 戦後、占領軍がこの地を駐車場にするといい出しました。

 しかし、塚を崩すために出動したブルドーザーが転倒し、作業員が死亡するという事態が発生しました。

 東洋の神秘を見せつけられた占領軍は、駐車場の設置をあきらめざるを得ませんでした。


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 これが古くから塚を鎮めてきた石塔ですね。

 1984年、将門公は、神田明神の祀神に復帰しました。

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 将門塚の石碑の写真でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「史跡の部屋」
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