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山方城(6) ~ 悪鬼の献策

 山方城の最終話です。

*戦国期、関東を北条氏が席巻しますが、佐竹氏は宇都宮氏らと反北条同盟を結成し、強硬に抵抗を続けました。

 1590年、豊臣秀吉が北条征伐の兵を関東へ差し向けると、佐竹義篤はこれに従軍しました。

 「のぼうの城」で知られる成田氏の忍城攻めでは、堤防構築工事にも携わりました。


DSCF3094.jpg
 二郭と本郭を隔てる堀です。

*戦後豊臣秀吉は、佐竹義篤へ結城領を除く常陸一国を安堵しましたが、当時、佐竹氏の勢力は北常陸にとどまっていました。そこで佐竹義篤は支配を常陸全土へ及ぼす為の行動を開始しました。

 まずは、佐竹家臣でありながら命じても兵を出さない等、専横が目立つ水戸の江戸氏を攻め滅ぼし、次に北条寄りだった石岡の大掾氏を血祭りにあげました。


山方城
 往時は崖端城の北側を久慈川があらっていたとのことですので、そのように描きました。

*残るは大掾氏の息がかかっていた、鹿島郡、行方郡の鹿行三十三館と呼ばれる豪族たちの番です。

 現地配布資料によると、佐竹の知恵袋と呼ばれた、山方第六代篤定が、佐竹義篤へある献策をしたということです。


DSCF3095.jpg
 二郭から堀越しに、本郭を撮影しました。

*以下、妄想会話です。

 佐竹義篤「さて、鹿行三十三館を一度に攻め滅ぼすのは容易ではないぞ、抗戦され、長引いたりしたらやっかいだのう。」

 山方篤定「殿、私に良い考えがあります。鹿行三十三館の者どもにこう伝えるのです。」


DSCF3100.jpg
 本郭には、模擬天守風資料館が鎮座しています。

 入場料を払って、入ってみました。

「秀吉公の裁定で常陸は佐竹が差配することとなった、佐竹に従ってくれれば、江戸氏、大掾氏の領地を皆に分け与え、それぞれに加増して差し上げようと存ずる。

 今後のお付き合いもあるので、当主と嫡男で当方の城まで来て下さらぬか」



DSCF3102.jpg
 武具が展示されています。

*話を信じて、常陸太田城に集まった豪族たちを、佐竹氏は酒宴でもてなし、酔いがまわったところで皆殺しにするという、悪鬼の所業に及んだのです。

 佐竹氏は、同時に豪族たちの領地へ兵を差し向け、一気に制圧してしまったのでした。


DSCF3105.jpg
 説明の展示も豊富でした。

*まともに攻めても上手くいかないところを、一気に制圧できたのですから、山方篤定の献策は戦略として、大変有効であったということになります。

 戦国の世を生き残るには、正義だの、人道だの言ってはいれないのですね。


DSCF3109.jpg
 資料館の2階から山城部を撮影しました。

*佐竹氏が秋田へ移ると、山方氏も随行し、幕末まで重臣の地位を保ったということです。

DSCF3108.jpg
 久慈川の流れでお別れです。

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