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山入城(4) ~ 百年の乱終結

 山入城の最終話です。

 DSCF3035.jpg
 二郭の先端部分です。

 二郭は全体的に削平があいまいで、だらだらと下っている感じです。

*1500年、山入氏義は突如和睦を破り、大山領の佐竹義舜(よしきよ)を攻めました。

 佐竹義舜(よしきよ)は金砂山城に逃げ込みました。

 そして1502年、満を持して山入氏義は金砂山城を囲みました。


DSCF3036.jpg
 「あ」の塁壁です。本郭の手前だけあって、塁壁の角度が急ですね。

*「窮鼠猫を噛む」

 決死の佐竹義舜(よしきよ)の反撃に、山入氏義は徹底を余儀なくされ、太田城に戻りました。

 佐竹義舜(よしきよ)は太田城北方の大門城へ入り、岩城氏との連携で体勢を立て直しました。


山入城
 全体として、おっとりとした古い作りですが、本郭の手前と、土橋、馬出付近だけ鋭いです。

 戦国期にその部分だけ改修を加えたのかもしれません。

*太田城の北の大門城に佐竹義舜(よしきよ)、南の額田城に小野崎氏、更に南の水戸城に江戸氏。

 山入氏義の勢力は南北から挟まれることになってしまいました。

 この状態でにらみ合いが2年続き・・・


DSCF3038.jpg
 「あ」から本郭方向を見上げました。

 本郭手前の段に割れ目があり、小口であったと推察いたします。

*2年の間、佐竹義舜(よしきよ)は周辺勢力と連絡を取り、領土の割譲などを条件に援軍を派遣してくれるよう交渉を進めていたのでした。

DSCF3039.jpg
 本郭の塁壁はなだらかで、下の段も全体に斜めです。

 落城時に派却工事が行われたのでしょうか?

*1504年、太田城を攻める佐竹義舜(よしきよ)の軍には、岩城氏だけではなく、茂木氏、そして那須氏までもが加わっていたのでした。

DSCF3040.jpg
 本郭に入りました。

*山入氏義は太田城を捨てて、山入城へ逃亡しました。

 やがて、山入城は落城・・・


DSCF3042.jpg
 本郭には解説版が設置されています。

*山入氏義と、子の義盛は、逃亡の途中で捕えられ、斬殺されました。

 百年続いた「山入の乱」は、ここに集結したのでした。


DSCF3044.jpg
 櫓台から見下ろした本郭の写真でお別れです。

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