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金砂山城(5) ~ 宗家復活

 金砂山城の最終話です。

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 BからAに至る尾根筋を登って、振り返りました。左側が切り立っているのが伝わるでしょうか?

*1502年、山入氏義は、佐竹第15代義舜(よしきよ)にとどめを刺し、佐竹当主となるため金砂山城を囲みました。

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 Aの部分には展望台が設置されています。

 往時も、尾根筋を攻め登る攻城兵を迎撃するため、櫓台が設置されていたのではないでしょうか。

*義舜(よしきよ)に従う兵は少なく、大軍を前にみるみる劣勢に追い込まれました。

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 本郭には神社が鎮座しています。

*夜、明日は自害して果てようと、家臣たちと別れの杯を交わしていると、鳥が飛んできたのでこれを打ち落としました。「これは明日、敵を打ち落とす吉兆だ!」と、鳥をあぶって食べ、大いに酒を飲み交わしたということです。

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 今度は正面から。写真では小さくて見えませんが屋根の上には佐竹の家紋が刻印されています。

*翌日も厳しい戦いが続きましたが、突然、激しい風雨と落雷があり、山入勢が混乱しました。これを好機と佐竹第15代義舜(よしきよ)が山入勢に切り込むと、山入勢は大いに崩れ、撤退したということです。

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 神社の西側は岩の断崖となっております。

 この断崖こそが金砂山城を堅城たらしめたのですね。

*その後、佐竹第15代義舜(よしきよ)は、嫁の実家岩城氏の援軍を得て、山入一族を攻め滅ぼしました。1504年のこととされています。

金砂山城
 西を岩の断崖、北と東を急斜面に守られているので、攻城兵は南側から攻めるしかありませんね。

*佐竹第15代義舜(よしきよ)はその後、家内の支配体制を強化し、所領を拡大する等佐竹家の勢力回復に大きな実績を残したため、「佐竹中興の祖」と称されるようになりました。

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 東側の景色です。本当に山の中です。

 攻城側は、兵糧を調達し続けるのも一苦労だったことでしょう。

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 本郭の左側に、岩の断崖が写り込んでいる遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「茨城の城」
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Comment
Re: とても面白かったです。
Butch様 御来訪ありがとうございます。
 金砂山城を訪問する前には佐竹氏が何故年度もここに籠ったのか理由がわかりませんでした。
 しかし、実際に行ってみると、攻城側が糧道を確保し続けるのが大変そうですね。地元民の協力があればどこからでもゲリラ戦を仕掛けることが出来ます。
 また、断崖に頼ることが出来るこの立地は正に難攻不落ですね。
 さて、山入城で新たな遺構が発見されたのですか。キョウミシンシンです。
 武生城へ行かれましたか? スゴイ!
 神武寺周辺へ行かれましたか。お寺の裏山とか周辺に城郭遺構があることは多いですよね。上入野城もそうですね。上入野城の中心部はおっしゃる通り、何か周囲の城と違う雰囲気を感じました。
 エールをありがとうございます。レポートアップ作業の励みになります。
 今後ともご愛顧頂ければ恐悦至極です。
とても面白かったです。
こんにちは、関東に移動した頃 訪れたのですが南北朝期の城との知識のみで「山岳信仰の地に籠ったんたんだな~」と城郭遺構としての見る目が無かったです(今なら多少は目が肥えたかも?です)
しかし、山岳ゲリラ戦をやられたら非常に厄介な土地ですよね。
山入城(ヤブレンジャーの方々が新たに遺構を発見されたのですね) 武生城と共に再度行ってみたい城です。

先週末は近場の神武寺を探索してきました、ここも山岳信仰の地のようで城郭遺構などでは?との噂が??
夏場の体力維持を兼ね通ってみるつもりです、ついでに何か見つかれば(笑)

それでは、今後のレポート楽しみにしています(上入野城は藪でハッキリしませんでしたが中心部が佐竹っぽく無く宇都宮的に感じました?)
失礼いたします。
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