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山入城(1) ~ 尊氏と歴戦

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年3月29日、お城仲間のMさんと、山入城に行って参りました。

山入アク
 茨城県常陸太田市国安町、標高186Mの要害山にあります。

DSCF3048.jpg
 県道29号線、出羽バス停の脇に、城跡入口の看板があり、道なりに進んで、山を登っていくと、車で城跡内部まで到達できます。

*山入氏は佐竹氏の分流です。

 佐竹第8代貞義の子で、佐竹第9代義篤の弟、佐竹師義(さたけもろよし)を始祖としています。


DSCF3014_20140410151625d15.jpg
 「え」と「お」の間に、道が通っています。

*室町幕府の創設期から南北朝期にかけて、佐竹師義は、宗家と離れて、足利尊氏とともに全国を歴戦し、その戦功として、山入の地を与えられました。 

山入城
 「図解・茨城の城郭」掲載の図面と、自らのスケッチからおこしました。

*室町幕府の祖「足利尊氏」から直接所領を賜ったということで、山入家は佐竹家中でも別格の扱いを受けていたようです。

(後世、佐竹宗家と山入家を混同しないように、山入と呼ぶようになりましたが、当時、山入家は佐竹を名乗っていたということです。)


DSCF3015.jpg
 「え」の郭です。

*佐竹第11代義盛には、男子がいませんでした。

 そこで佐竹11代義盛は、関東管領家から婿養子を迎え、第12第当主とすることにしました。


DSCF3016.jpg
 「お」の郭です。

 南東郭郡の西側は斜面がなだらかで、郭の面積を広く取っています。

 だだっ広い割には、塁壁は低く、住民の避難区域であった可能性も感じます。

*山入氏が反発しました。

 「何故、別の家から当主を連れてくるのか? 佐竹分流の中から当主を選ぶべきだ!」

 山入の乱の勃発です。以後、山入氏と佐竹宗家は100年にわたって、争い続けることとなります。


DSCF3018.jpg
 Pから見た、南東郭郡の東側です。こちらは急峻ですね。

 「山入城第二話・高塁壁馬出」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「茨城の城」
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