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金砂山城(3) ~ 南北朝期の籠城

 金砂山城の第3話です。

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 Kの平場です。

*1333年、後醍醐天皇は鎌倉幕府打倒を呼びかけ、足利尊氏や新田義貞が挙兵しました。

 佐竹氏もこれに呼応し鎌倉攻めに従軍、鎌倉は陥落し、鎌倉幕府は滅亡しました。


金砂山城

*後醍醐天皇による建武の新政が開始されました。

 新政の裁定により、久慈川上流の現大子町周辺は結城氏へ、那珂川中流の瓜連城周辺は楠氏へ与えられました。
 
 久慈川と那珂川を流通と経済の基幹とする佐竹氏にとっては、納得しがたい裁定でした。


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 Jの平場です。

*やがて、後醍醐天皇と足利尊氏は対立し、南北朝時代に突入します。

 北関東における南朝派は、結城氏、新田氏、宇都宮氏などで一大勢力を誇っていました。

 そのような中、佐竹氏は周囲を南朝派に囲まれながらも、北朝派として気を吐いていました。


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 「I」から二郭へいたる通路です。左上からの攻撃にさらされ続けます。

*1335年、陸奥南朝派の北畠顕家と義良親王は太平洋の海岸沿いに南下し、佐竹領へ侵入しました。

 佐竹貞義はこれを迎撃する為、兵を出しました。

 両軍は現日立市付近で、合戦を開始しました。


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 二郭には神社が鎮座し、まとまった空間が確保されています。

*その時、常陸国人那珂通辰が佐竹勢の背後を突きました。

 前後を敵に囲まれた佐竹勢は敗走、山中の金砂山城に籠城しました。

 金砂山城は天然の要害で、南朝方はこれを攻めあぐねます。


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 神社の脇のご神木です。何かがやどっているような・・・

*1336年4月には、瓜連城に小田治久と大掾高幹が入城し、常陸の国では佐竹氏は孤立してしまいます。

 同年12月、瓜連城の南朝方は金砂山城へ向かって兵を進めました。

 この情報を手にした佐竹貞義は乾坤一擲の大勝負にでます。

 佐竹貞義は兵を二手に分けると、遊軍で南朝軍を迎撃し、本隊は迂回して、瓜連城を攻め立てました。


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 二郭から、Fの通路に至る階段です。

*金砂山への出撃で手薄となっていた瓜連城はひとたまりもなく落城、楠正家が奥州へ逃げる等、南朝方は四散してしまいました。

 佐竹義貞は、瓜連城を確保すると、金砂山城攻めに向かっていた南朝軍へ兵を差し向けました。


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 Fの通路です。ここでも左上からの攻撃にさらされ続けます。

*遊軍と本隊とに攻囲された南朝軍は壊滅、主将の那珂通辰はじめ那珂一族43人が自刃、常陸北部の南朝勢力は一掃されました。

 その後、瓜連城を含む那珂川流域が佐竹貞義へ与えられました。源頼朝から没収されていた所領を約150年ぶりに回復したこととなります。


 「金砂山城第4話・戦国期の籠城」へ続く・

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