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金砂山城(2) ~ 平安末期の籠城

 金砂山城の第2話です。

*平安末期、平清盛を頂点とした平氏は隆盛を極め、専横が著しかったため、平家追討の綸旨が発せられ、1180年、源頼朝が挙兵しました。

 関東の武将たちは源頼朝の元へ馳せ参じましたが、佐竹第3代秀義は平家側につきました。


DSCF2975.jpg
 「う」の平場です。小口っぽい場所があります。

 写真に間違って「え」と記入してしまいました。申し訳ないです。

*源頼朝は、上洛中に佐竹が関東を荒らしまわっては困ると考え、佐竹征伐に乗り出しました。

 佐竹氏は金砂山城に籠りました


金砂山城
 あ・い・う、の山は、平場に入った敵を、北側の山とから、挟撃せんと意図していたかもしれません。

*源頼朝の兵3千騎が金砂山城を攻め立てましたが、金砂山城は天然の要害で、佐竹勢が高い崖の上から大木や岩石を投げ落とすので、寄せ手は城柵にとりつくこともできませんでした。

DSCF2979.jpg
 「い」の平場です。下に道路が見えます。道路を登ってきた敵を攻撃できる位置にあります。

*そこで源頼朝方は悪知恵を働かせました。

 佐竹第3代秀義の大伯父義季へ魔手を伸ばしましたのです。

 「義季さん。あなたは佐竹初代昌義の子だ。でも、末っ子だからって、軽く扱われているよね~。つらいですね~。つらい立場を抜けだす良い方法があるんですよ。義季さんが協力してくれたら、義季さんを佐竹の当主にして差し上げますよ。モチロン本領安堵を約束させていただきます。ハイ!」


DSCF2976.jpg
 「い」から、「あ」方向を見上げました。写真ではそうは見えませんが、かなりきつい登りでした。

*甘言に乗せられた義季は、源頼朝の軍勢を城内へ引き入れました。

 不意をつかれた佐竹勢は混乱し、金砂山城から退避し、更に山奥の花園山城へ逃げ込みました。


DSCF2978.jpg
 頂上の「あ」にたどり着きました。

 さほど広くなく、物見としての役割であったことでしょう。

 さて、一旦、平場に下りて・・・

*源頼朝は、佐竹氏の領地を、先導した佐竹義李ではなく、頼朝配下の将たちに分け与えました。

 佐竹義李は御家人に任じられましたが、本領安堵は空手形に終わったのでした。


DSCF2964.jpg
 居館を背に、平場部分を撮影しました。

 一族、家臣を含めて、かなりの人数が寝泊まりできる広さですね。

*1185年、源頼朝は平家を滅ぼし、天下の主となりました。残すは奥州藤原家の征伐のみでした。

DSCF2980.jpg
 「お」の場所から、北側を見上げました。

 往時、この階段が登城路であったかどうかはさだかではありません。

 守る側としては、攻城兵が谷筋を進んでくれれば、左右から挟み撃ちに出来ると思うのですが・・・

*1189年、源頼朝が奥州征伐の兵を挙げると、佐竹第3代秀義は宇都宮にて頼朝への見参を許され、その配下となりました。

 「金砂山城第3話・南北朝期の籠城」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「茨城の城」
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