HOME   »  中世城郭  »  瓜連城(3) ~ 高師冬入城

瓜連城(3) ~ 高師冬入城

 瓜連城の最終話です。

IMG_4181.jpg
 Cを背に、D方向を撮影しました。見事な塁壁ですね。

瓜連城

*1336年4月には、瓜連城に小田治久と大掾高幹が入城し、常陸の国では佐竹氏は孤立してしまいます。

IMG_4183.jpg
 Dから西土塁の、北端を撮影しました。大迫力です。

*同年12月、瓜連城の南朝方は金砂山城へ向かって兵を進めました。

 この情報を手にした佐竹貞義は乾坤一擲の大勝負にでます。


IMG_4185.jpg
 Dから、西土塁と、土塁の西側の堀を撮影しました。

*佐竹貞義は兵を二手に分けると、遊軍で南朝軍を迎撃し、本隊は迂回して、瓜連城を攻め立てました。

 金砂山への出撃で手薄となっていた瓜連城はひとたまりもなく落城、楠正家が奥州へ逃げる等、南朝方は四散してしまいました。


IMG_4187.jpg
 この雄大な堀を見るだけでも、瓜連城を訪問する価値があります。

*佐竹義貞は、瓜連城を確保すると、金砂山城攻めに向かっていた南朝軍へ兵を差し向けました。

 遊軍と本隊とに攻囲された南朝軍は壊滅、主将の那珂通辰はじめ那珂一族43人が自刃、常陸北部の南朝勢力は一掃されました。

 戦闘は常陸南部の小田城へと移っていきます。


IMG_4169.jpg
 西土塁上から見下ろした堀です。

*1338年、南朝の重鎮、北畠親房が小田城へ入城すると、南朝派は勢いを盛り返しました。

 そこで、1339年、北朝も高師冬を瓜連城に入れ、小田城攻めの拠点としました。


IMG_4189.jpg
 今度は保育園側から見た堀です。

*1341年小田城が、1343年関城と大宝城が落城し、関東における南朝方の組織的抵抗は終焉しました。

 その後、瓜連城を含む那珂川流域が佐竹貞義へ与えられました。

 源頼朝から没収されていた所領を約150年ぶりに回復したこととなります。

 佐竹宗家は回復地に分流を配置し、支配を強化しようとしましたが、やがて、その分流たちが混乱のタネとなっていくのでした。


IMG_4193_2014040116340036d.jpg
 瓜連城の解説版でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「茨城の城」
スポンサーサイト
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード