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宇留野城(1) ~ 佐竹分流宇留野氏


 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年3月8日、お城仲間のMさんと、宇留野(うるの)城に行って参りました。

宇留野城アク
 茨城県常陸大宮市宇留野、日向神社の境内とその周辺が城域となっています。

IMG_4120.jpg
 現地解説版によると「総構えがあったが破壊され、中心部のみが残存する」ようです。

*宇留野城は、宇留野氏の城でした。宇留野氏の創始については諸説あります。

宇留野城
 藪レンジャーの皆様の図面を参考に、地形図と自らのスケッチを加味して作成しました。
 中心部は舌状台地を利用した連郭式の縄張りです。

*一説には、佐竹氏の分流で、佐竹第四代佐竹義長の代に、この地に移り、宇留野家を起こしたとされます。

IMG_4095.jpg
 総構えと本体部分を隔離する谷です。

*しかし、佐竹氏は三代秀義の頃に、源頼朝に背き、この地を没収されていますので、なんとも信じがたい説ではあります。

IMG_4134.jpg
 大堀の北側部分です。堀幅が広すぎて、南側まではアングルに入りません。

 大堀は、総構えの一部をなしていたと考えられています。

 本体部分の堀幅はさほどでもありません。本郭の普請は古い時代のものであると思われます。

 総構えの大堀の方が圧倒的な堀幅なので、総構えの構築は比較的新しい時代、たとえば戦国時代ではなかったでしょうか。

*この地は南北朝期に南朝の拠点となり、南朝が衰退したのち、佐竹氏に返却されています。

IMG_4097.jpg
 三郭北側、二重土塁の北側を撮影しました。高さは4~50センチほどで、さほどの防御力は感じません。

*次の説は・・・

 室町時代後期に、佐竹第13代佐竹義俊の子(嫡男ではない)義公が祖となり、この地で宇留野家を起こしたとするものです。


IMG_4099.jpg
 この角度だと、二重土塁であることが良くわかりますね。

 堀には伐採した木の枝が置かれて、見栄えしません。木が腐って土となり、堀が浅くなっていくことを400年繰り返しているのでしょう。往時はもっと深かったのでしょうね。

*その後、宇留野氏の直系が途絶えたため、佐竹宗家から養子を迎えることとなったようですが・・・

IMG_4101.jpg
 三郭西側の堀です。

 「宇留野城第2話・困った養子」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「茨城の城」
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