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那珂西城(2) ~ 尊王の英雄伝説

 那珂西城の第2話です。

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 宝憧院の参道です。Cは土塁が切れている場所ですが、往時の小口であったかは不明です。

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 山門の脇には、那珂西城の解説版があります。

「南北朝時代の山城の遺構で、昭和9年、県指定史跡となる。広さ4ヘクタール、空掘、土塁の一部が残っている。

 秀郷流藤原姓那珂氏の本拠といわれてきたが、大中臣姓那珂氏の居城とする説が有力である。

 那珂氏の後、佐竹氏が支配し、城番を置いたという」


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 本郭に入りました。西側の土塁です。

*解説版に「秀郷流藤原姓那珂氏の本拠といわれてきたが、」と記されていました。

 これは那珂通辰のことです。

 少し古い本には、「那珂西城主・那珂通辰」と記されています。


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 北側の土塁です。

*南北朝期、佐竹氏は北朝に付きました。

 東北の南朝勢力は海岸沿いに南下し、佐竹氏を攻め滅ぼそうとしました。


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 北側の土塁に登ってみました。上幅は2メートルほどあります。

*佐竹氏は、海岸線へ軍勢を集め、迎撃しようとしました。

 その時、那珂通辰が蜂起し、佐竹氏の背後を突いた為、佐竹氏は敗退しました。


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 今度は南側の土塁に登りました。Bの部分が高くなっていて、櫓台であった可能性があると思います。

*南朝を崇拝する皆様にとって那珂西城は、長年、尊王の英雄「那珂通辰」の居城と信じられていたようです。

 しかし、その後の研究により、別系統の那珂氏の居城であったとされるようになりました。


那珂西城
 「図説・茨城の城郭」によると、那珂氏の頃は本郭の規模で、佐竹氏の頃に拡張されたのではないかということです。

*その、別系統の那珂氏は足利尊氏に従って丹波に移ったということです。

 足利尊氏に従って・・・ということは、北朝側ですね。

 那珂西城を、南朝の英雄の居城と信じていらした皆様は、きっと気持ちのやり場に困ったことでしょう。


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 土塁上から南方向を撮影しました。

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 Bの櫓台には、那珂西城の石碑が建てられています。

 「那珂西城第3話・横矢小口」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「茨城の城」
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