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白金長者屋敷(1) ~ 都心に巨大土塁

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年2月23日、白金長者屋敷に行って参りました。

IMG_3943.jpg
 東京都港区白金大5-21-5、国立科学博物館付属自然教育園にあり、JR山手線目黒駅北東400メートルほどです。

IMG_3944.jpg
園内に入るとすぐ、左側に土塁が現れます。下の図「あ」の土塁です。

 通路以外の立ち入りが禁止されており念入りな踏査は出来ない状態となっています。

*この遺構群に関する確かな記録はありません。

IMG_3945.jpg
 更に進むと右側にも土塁が見えてきます。高さは4メートル近くあるように感じました。

*白金に勢力を張った土豪の居館ではないかとの推察から「白金長者屋敷」と呼ばれているそうです。

IMG_3946.jpg
 園内には土塁の配置が図によって示されています。

*教育園のHPによりますと、永禄2年(1559)太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたことが記録されているということです。

 太田新六郎の正式名称は、太田康資です。北条配下から、里見側へ寝返り、第二次国府台合戦で敗北した方ですね。

白金長者
 上の図と、グーグル地形図を掛け合わせ、園内と園外一周の地形観察からイメージ図をおこしてみました。

 谷を守るための構えとなっています。

 往時、谷は水田となっていたとすると、水田を守る構えともいえます。

 東から南にかけての土塁のラインは400メートル以上あり、このラインに兵士を張り付けるには相当な兵力が必要です。

IMG_3947.jpg
 「い」の付近の土塁です。

*江戸時代の寛文4年(1664)には、徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷となったということです。

 江戸時代に、江戸城の近くで土塁の普請などしたら、謀反を疑われますので、土塁は江戸期のものではないと思われます。

IMG_3948.jpg
 Aの部分は現在、池となっています。

 「白金長者屋敷第2話・混合遺構か?」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東京の城」
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