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世田谷城 ~ 吉良氏本城

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年2月23日、世田谷城に行って参りました。

 東京都世田谷区豪徳寺二丁目にあり、世田谷城址公園として整備されています。

IMG_3875.jpg
 東急世田谷線上町駅北方約250メートルです。駅の出口には世田谷城址公園への矢印が・・・

IMG_3876.jpg
 一本道ですので迷うことはありません。

IMG_3877.jpg
 城山通りを進みます。奥の森が城址公園です。一段高い場所にあることが視認できます。

IMG_3878.jpg
 途中で「烏山川緑道」の「城向橋」を通ります。

 往時は、世田谷城の西、南、東を囲むように烏山川が流れており、天然の堀をなしていたそうです。

 現在烏山川は埋められ、緑道になっています。

 2枚目の写真の地図、緑のラインが往時の烏山川です。

IMG_3880.jpg
 城址公園に到着です。

*南北朝期に吉良氏が世田谷郷を与えられ、その後城郭を整備したようです。

 吉良氏は、戦国期には扇谷上杉氏の配下にあったようです。


IMG_3887.jpg
 世田谷城は市街化による破壊が著しく、また、私有地で立ち入り禁止の部分も多く、往時の全容を踏査することはできません。

 解説版に土塁のラインが記されています。このラインと地形図を組み合わせると・・・

世田谷城
 想定復元イメージ図です。台地の突端を利用した構えであったようです。

IMG_3883.jpg
 Dの郭から、Cの土塁を見上げました。

*小田原北条氏が武蔵へ進入すると、吉良氏は早くから北条へ服従しました。

 吉良氏朝は、北条早雲の三男、北条幻庵の娘をめとりました。
 

IMG_3884.jpg
 Cから、A方面を撮影しました。深い堀が現存しています。

*吉良頼康は、北条二代氏綱の娘をめとり、吉良家は、親族衆として北条家に重きをなしました。

IMG_3885.jpg
 堀底から、北側を撮影しました。

*豊臣秀吉により、北条家が没落すると、吉良氏は一旦逼塞しましたが、徳川家康により取り立てられ、蒔田氏を名乗ったということです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東京の城」
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Comment
いってらっしゃい!
Butch様 御来訪ありがとうございます。

 林外城は、昔行って、どろどろになった思い出があります。
 刈りはらわれたのですね! 是非、再訪したいと思います。

 山方城の山城部は出回っている縄張り図をみると、単純なのですが、
実際に踏査してみたら、ボーナストラックでした!
 Butch様とは城の好みがあいますね。
 横入り小口の組み合わせや、土橋が面白かったです。

 賤ヶ岳戦陣城群へ行かれますか?
 うらやましい!
 私も行きたくて行きたくて仕方がないのですが・・・

 私の分まで楽しんで来て下さい。

 行ってらっしゃい!
要注意 ! 「何を撮ってるのですか?」
こんにちは、ここでは幼児を撮影していると勘違いされた事があります全く笑えない話です。
只今 休暇中でして昨日は自分も常陸鹿行方面に行ってきました、林外城が伐採され雄大な遺構を見れました、他はバンブー地獄でストレスばかりたまりましたが(笑)
五遁様は大宮方面に行かれたのですね、山方城の山城部は好みの物件でして以前妄想戦闘シュミレーションに夢中になってしまいました。レポートが楽しみです!
明日からしばらくは家のあるフィリピンに帰るのですが 休暇後半は念願の賤ヶ岳戦陣城群を(ついに!)観てくる予定です。
それでは充実した城巡りが出来ますように 失礼いたします。


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