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図解滝山城(12) ~ 二の丸東枡形

 滝山城の第12話です。

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 東馬出からの土橋を渡りきり、Aに到達しました。

 攻城兵は、二の丸東から側面攻撃、二の丸西から正面攻撃を受けながら進まなくてはなりません。

*滝山城の二の丸と言えば、私の頭に浮かぶのは「関東古戦録」の記述です。以下・・・

 信玄は拝島の森に兵を進めた。

 甲斐の兵は、多勢をもって外郭を打ち破り、二の丸に攻めよせたので、北条氏照は二の丸の二階門に登って「ここを破られまいぞ!」と下知した。


滝山城二の丸東枡形
 「B」は完全な枡形とは言えませんが、三方向を塁に囲まれているので、東枡形として紹介させて頂きます。

*武田勝頼はこの時24才であるが、自ら大身の鎌槍を握って突き散らし、二階門の下で大剛の古武者師岡山城守と槍の勝負になった。

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 「B」の地点で通路は屈曲し、攻城兵は方向転換を強いられます。北条は屈曲オタクですね。

*この戦い(勝頼VS師岡)は勝負がつかず、引き分けとなった。

 この時、馬場信房の手の者が競って進み、ついに二の丸を押し破った。


*これに続いて甲斐の兵が乱入したが、城兵もよく防ぎ寄せ手を追い返した。

 この時、勝頼が横から槍を入れて奮戦したので、城兵も郭内に引き取った。


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 「B」にさしかかり、少しづつ二郭の内部が見えてきました。

*信玄はこの次第を聞いて

 「この城は一時には落ちるまい。無理攻めをして、典厩、四郎(勝頼)などを討死させては、意味のない働きになってしまう。大事の前の小事である。すぐに兵を引かせよ!」と下知して緒勢を引かせ、小田原に向かった。

 以上が「関東古戦録」の記述です。しかし、「関東古戦録」は江戸時代に記された小説であり、記述内容は脚色が多いとされています。


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 二郭に入っても、両側から挟み撃ちにされる「挟撃通路」が延々と続いています。

*甲斐国誌の記述では

 「北条陸奥守(氏照が)楯籠(る)滝山(城)へ馬を寄せ近辺に放火し、裸城と成し」と、城下を焼き払ったものの、城内へは攻め入っていないことになっています。


滝山城全体
 ここで全体を再確認させて頂きます。二の丸の次は中の丸です。

 二の丸と中の丸の接点で、二の丸の方が高いと不都合なので、二の丸は中の丸へ向けて、高度を下げています。

*北条氏照が残した文書によると

 (氏照は)三宿口に兵を出し、たびたびの戦いに勝利した・・・とされています。

 「関東の名城を歩く・南関東編」の解釈では、宿とは城下町である。つまり、城下町の出入り口三か所に布陣して、武田の兵を迎え撃ち、勝利した。つまり、城下町も含めて防衛したということになります。


IMG_3514.jpg
 北側から見た二の丸です。奥の方が高くなっています。手前、中の丸側が低くなっています。

 「滝山城第13話・大馬出」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東京の城」
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