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図解滝山城(10) ~ 信濃屋敷

 滝山城の第10話です。

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 大池から、東側の尾根筋に戻ってまいりました。

 通路から見た、刑部屋敷の土塁です。

*さて、滝山城の創始は大石氏ではないかと考えられていることを第4話でお伝えしました。

 以下、中田正光著「よみがえる滝山城」から引用して、大石氏がこの地に至る経緯をお伝えします。


滝山城南方

 カソノ屋敷、刑部屋敷、信濃屋敷と続くこの空間は、家臣の居住地となっていたと思われます。

 また、相互の遮断が弱いため、兵力が少ない場合は放棄の対象となったのではないでしょうか。

*室町時代初期、足利尊氏と、弟の足利直義が対立しました。

 足利直義派に上杉憲顕がいました。

 足利尊氏は、弟派に打ち勝ち、弟は死去・・・ 

 弟派の上杉憲顕は信濃や越後を転々とし、生き延びました。


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 小口でしょうか? 土塁の切れ目があります。

*大石氏は、信濃南佐久郡大石(八千穂村)にあった土豪でしたが、上杉憲顕の苦しい時代を支えたと思われます。

 足利尊氏が亡くなると、関東を差配する足利基氏は上杉憲顕を関東管領として招き寄せました。


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 刑部屋敷です。

*上杉憲顕は西関東の在地武将を冷遇し、反乱をけしかけ、制圧しました。

 在地武将を掃討した跡地に、上杉憲顕が大石氏を招き、与えたのではないでしょうか?


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 通路に戻って、二の丸方面へ進むと、右側に信濃屋敷の入り口があります。

*大石氏は、関東管領の威を借り、武蔵守護代となり、権勢を誇りました。

 しかし、関東管領家は公方家と対立し、また、扇谷上杉氏と対立し、次第に衰退していくこととなります。


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 こちらは信濃屋敷です。

*やがて、北条氏が南から関東をじわじわと蚕食していくことに・・・

 1546年、有名な川越の夜戦で、北条氏康は、敵対する連合軍(山内上杉、扇谷上杉、古河公方)を撃破しました。

 大石氏は北条氏康に頭を垂れ、その傘下へ入ることにしました。


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 信濃屋敷を出て、土橋を抜けると、東腰郭です。

 イメージ図をご参照ください。信濃郭屋敷から東馬出へ向かう攻城兵は、ここ東腰郭で方向転換を強いられます。

 東腰郭は、二郭からの射撃の制圧下にある上狭いので、東馬出へ攻め入る兵力は少人数にならざるをえません。

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 二の丸から見下ろした東腰郭です。二の丸からの射撃の制圧下にあることが見て取れます。

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 西側から見た東腰郭南方向の塁壁です。圧巻ですね。

 「滝山城第11話・東馬出」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東京の城」
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