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泉頭城(3) ~ 拠点放棄と家康

 泉頭城の最終話です。

IMG_3678.jpg
 「本郭」西側の浸食谷です。

IMG_3672.jpg
 「本郭」と「A」郭を隔てる堀切です。

 お城仲間のMさんから頂いた資料によると、ここの堀幅は14メートル以上あるということです。

 規模が大き過ぎてカメラのアングルに収まり切りません。

泉頭城
 このイメージ図では、「本郭」と「A」の間は狭く見えますが、実際は14メートルということですので、泉頭城が壮大な規模を誇っていたということですね。

 数千の軍勢が駐屯できる規模であったと思われます。

*武田勝頼は北条氏の領国へ攻勢を強める一方、西側では織田・徳川連合軍に領土を蚕食され、急速に勢いを失っていきました。

IMG_3675.jpg
 堀切から見上げた「A」の塁壁です。石積みも見られますね。

*武田氏が攻め滅ぼされる過程で北条氏は戸倉城を奪回しました。

IMG_3676.jpg
 「A」郭です。

*織田信長が本能寺の変に倒れると、武田遺領をめぐって、徳川氏と北条氏は対立しました。天正壬午の乱です。

 この地でも両者の抗争が行われ、すぐ南の戸倉城が徳川の手に落ちましたが、泉頭城は北条方として持ちこたえました。


 やがて、両氏は和睦しました。

IMG_3671.jpg
 「本郭」は、柿田川公園の駐車場となっていました。

 これで終わるのは風情が無いので・・・

*やがて、徳川家康は豊臣秀吉に屈服し、北条氏へも秀吉への忍従を勧めましたが、北条氏の態度は煮え切らず、秀吉は北条征伐を敢行しました。

 豊臣秀吉による北条征伐の際、泉頭城は放棄されました。

 兵力を中山城と韮山城へ集中させるためでした。しかし北条家は没落し、泉頭城は廃城となりました。


IMG_3705.jpg
 「舟入り」とされる場所・・・

*時は過ぎ、豊臣家を滅ぼし、天下を簒奪した徳川家康は、ここ泉頭城を、駿府城に代わる隠居所とすることを望み、泉頭城を取り立てるお触れが出されました。

 しかし、間もなく家康が死去したため、泉頭城は再び取り立てられることはありませんでした。


IMG_3702.jpg
 天然の堀をなしていた柿田川の風景でお別れです。

*家康がこの地で余生を送りたいと願ったのもうなづける風情ですね。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
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Comment
Re: 完存していれば・・・
Butch様 御来訪ありがとうございます。

 市街化、公園化により、破壊されているとの情報でしたが・・・

 行ってみると、残存部があり、その残存部は往時を想像させるに充分なものでした。

 やっぱり、自分の目で確かめないとだめですね。

 おっしゃるとおり、この城が破壊される前の姿を見てみたいですね。

 柿田川とそれに食い込む深い谷に頼った城ですね。崖端城です。

 逆に地形に束縛されて、縄張りの自由度が拘束されている感は否めませんでした。

 隠居城となったら、石垣など積みまくったのでしょうか?

 週末ごとの悪天で、城に行けずストレスがたまりますね~

 今週末も遠征中しで雪かきとなりそうです・・・

> こんにちは、面白い城だったでしょうね。
> どうも このての城の縄張り把握は苦手で・・・
> 鳥瞰図にして頂くと解りやすいです、松山城を上から押し潰したような?
> この地形で隠居城が完成していたらどんな近世城郭になったのか興味深いです。
> それでは失礼いたします。
完存していれば・・・
こんにちは、面白い城だったでしょうね。
どうも このての城の縄張り把握は苦手で・・・
鳥瞰図にして頂くと解りやすいです、松山城を上から押し潰したような?
この地形で隠居城が完成していたらどんな近世城郭になったのか興味深いです。
それでは失礼いたします。
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