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大平古城(1) ~ コンパクトで技巧的

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年1月18日、お城仲間のMさんと大平古城に行って参りました。

北伊豆
 静岡県沼津市大平、大平新城から尾根を南へ登ること500メートルの山上にあります。

IMG_3841.jpg
 いきなり、堀切です。

大平古城
 先ほどの堀切は、図の左奥です。

 図の手前から二郭へかけての、通路には必ず横矢をかけることが出来るようになっており、なかなか技巧的です。

IMG_3846.jpg
 「七郭」です。藪ではないのですが、郭の全体像を一目で把握するのは難しい状態ですね。

*さて、戦国時代の1544年、今川家、武田家、北条家は三国同盟を締結しました。

 後顧の憂いをはらった三家は、それぞれ領国を拡大していきました。


IMG_3842.jpg
 先ほどの写真を撮影した場所から、後ろを振り向いて撮影しました。

 中心部が大変コンパクトであることが写真から伝われば幸いです。

*1560年、今川義元が桶狭間の戦いに散ると、三国同盟には暗雲がさしかかります。

 今川家配下であった徳川家康が自立し、今川家の領国を蚕食し始めました。

 義元の跡を継いだ今川氏真は、父の弔い合戦をするでもなく、かえって家臣を誅殺するなど、今川家は混乱しました。


IMG_3847.jpg
 先ほどまでは、城の西側でしたが、今度は東側に来ました。「五郭」です。

*武田家では、「今川を助ける派」と「見限って制圧する派」が対立し、1565年には「今川を助ける派」が粛清されました。

 1567年には、今川から嫁をもらっていた、嫡男の武田義信が幽閉先で自害しました。

 今川氏真は、武田信玄に対抗するため、上杉謙信へ同盟を呼びかけました。


IMG_3849.jpg
 「五郭」から、「四郭」へ登ってきました。石積みがありますね。

*1568年、武田信玄はついに駿河へ侵攻を開始しました。

 今川勢の多くは既に信玄へ内応しており、今川氏真は駿府を捨て、掛川城へ逃げ込みました。

 武田信玄の駿河侵攻と平行して、遠江侵攻を開始していた徳川家康は掛川城を包囲しました。


IMG_3850.jpg
 「四郭」の小口です。屈曲横入りとなっており。更に「三郭」からの射撃にさらされる構造となっています。

 「大平古城第2話・今川が籠城」へ続く・・・

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