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大平新城(1) ~ 韮山城防衛急造

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成26年1月18日、お城仲間のMさんと大平新(おおひらしん)城に行って参りました。

北伊豆
 静岡県沼津市大平、円教寺の背後にあります。

IMG_3802.jpg
 円教寺の駐車場には「大平新城」の解説版があります。

 1581年、戸倉城の笠原新六郎が武田へ寝返ったため、韮山城の防備を固めるため、大平新城が普請されたそうです。

大平新城
 二郭、三郭、四郭からなる岡城部と、背後の山城部からなる二段構えです。

 縄張りオタクの北条氏が戦国末期に普請したにしては、実にシンプルな縄張りです。

 武田の攻勢が迫っている中、急造したことがうかがえます。

IMG_3801_20140123161527978.jpg
 駐車場から見上げた「四郭」です。墓地になっています。

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 「四郭」を背に南へ登っていくと「二郭」の塁壁がお出迎えです。

 攻城兵は、右側の通路を通過する間、「二郭」からの射撃にさらされます。

IMG_3809.jpg
 「二郭」です。それなりの建築物を配置できる広さがあります。城代の屋敷があったのかもしれません。

IMG_3812.jpg
 「二郭」の東側にはへこみがあり、両脇が石で固められています。小口と考えてよさそうです。

IMG_3810.jpg
 「二郭」から「三郭」を見下ろしました。

 「B」は狭いのですが、最高所に当たるため、戦時には指揮官が下知を飛ばす場所であったのかもしれません。

 「大平新城第2話・武田勢来襲」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
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Comment
Re: お邪魔します。
Butch様 御来訪ありがとうございます。
> こんにちは、自分もこの城のショボさに?でした 北条氏勝が入城した記録があったと思いますが・・・御坂城に居た人ですよね。
 城と言うのは、守兵の数や、目的、烽火を上げて逃げるのか? 1日持ちこたえて援軍を待つのか? 全滅するまで戦うのか?によって縄張りも変わってきますよね。この城は一日持ちこたえて援軍を待つパターンではなないかと推察します。

> 私見と言うか下手な感想文ですが。
> 地形上 北条の従来の戦法が状況が不利になると裏山づたい山地に逃げ込み水兵から山岳部隊になるのではと
> 獅子浜城~鷲頭山 長浜城~発端丈山
> 丸山城~山奥 どれも道筋に追撃阻止構築物、集結出来る平坦地形が見られますね。(長浜城 裏山の岩尻山は五遁様好みだと思います)
 おっしゃる通り、この地域には多いパターンですね。

> 戸倉城のケースも 烏帽子岳~前山~徳倉山方面 のプランだったのかと?
> 戸倉城要害部の兵力はせいぜい歩兵一個中隊程でしょうから韮山方面の平地をスムーズに退却するには渡河もあり失敗の可能性大ですね。
> また どうも現地の指揮官の部隊と韮山城の常備部隊とは一線を画していたのではと感じるのですが・・・(軍隊では隊同士 仲悪いですし)
> 笠原?にいたっては後方から来たエリート将校の様ですし・・・「武田が来る!山になんか行きたくない!味方も僕に冷たいし 父さんも来てくれない・・・ブツブツ」だったと??
>
> 烏帽子岳で目を引いたのが石垣遺構でした、伊豆の山城を歩くと度々石積を見るのですが、個人的には遺構として懐疑的です。しかし 此処のは遮断部、堀切両面と往時は土橋もと、北条関係では見た記憶が無く武田館、要害山・熊城を連想しました。周辺の植生から植林に関する物では無いし、同様に近年の耕作地だった様でもない・・・これは遺構!?
> 疑り深いので、資料に後世石切が行われたとあり安全補強か何かで石を積んだ可能性も全く無いことは無いかな~(笑)
 烏帽子岳城、北土橋左側の石垣は私も、新しいのでは?と感じました。

> 武田が烏帽子岳を占領していたら山頂部の防御をしない事は考えられませんね!徳倉山方面からのゲリラ部隊に追い落とされてしまいます。
> 今回 山頂から東尾根を10m余り下りてみたのですが幅広の平坦地形が続き山頂と合わせれば中隊のキャンプには十分な広さだと思います。
 山頂部が城域に入っているのでは?との見解にご賛同頂きありがとうございます。
 図には書き入れませんでしたが、山頂東尾根に平場があるのを視認しております。

> また山頂部は北条軍の撤退時の集結地であったとの思いから徳倉山方面に下りて行ったのですが途中のピークにも平場があり前山と同様に穴が掘られていました。前山、徳倉山間の峠は大堀切状で かつての八重坂もこんな姿であったのだろうと思われる景観です、いつ堀切られたか解りませんが現在も二列縱隊でないと進めません、両側には小砦の雰囲気も(気のせい?)
> この辺は面白いです、まだまだ何かありそうです、また行きます。
 徳倉山方面へも行かれたのですね。スゴイ体力です。峠を押さえる遺構があったのですね。
 興味深いです。

 また、いろいろと情報を頂けると嬉しいです。
Re: 石川県に1泊2日の歴史散歩
室賀様 御来訪ありがとうございます。

> 行きました、埼玉県から激遠い石川県に1泊2日の歴史散歩。
 良かったですね。うらやましい限りです。

> 初日は午後からにわか雨の中、糸魚川市勝山城(落水城)・大聖寺城・今江城・浅井畷の古戦場。しかし、予定通り行けた所があります。津幡鳥越城です。
> 佐々成政が前田利家の末森城攻略失敗後に、無人の鳥越城(倶利伽羅峠近くの津幡)を乗っ取りました。その鳥越城に行けて良かったです。
 効率よくこなされましたね。

> 3800円で朝食付きの金沢のビジネスホテル(エコノ東金沢)は良かったです(部屋が広い・駐車場無料・朝食美味しい)
 最近は安くて新しくて快適なホテルが増えて、庶民には有り難いですね。
 私もそのタイプを常用しています。

> 2日目は松任城・手取川古戦場・小松城・一向一揆歴史館とその目の前の鳥越城(国指定史跡)。正午から大雪。鳥越城は4WDでも雪で登れず。
> 高速(小松IC→糸魚川IC)で白馬に戻ったら小谷村の一般道で玉突き事故。小谷村で2時間20分待ちました。
 雪で大変でしたね。

> しかし、45年生きてきて2回目の石川・富山良かっです。やはり埼玉県から激遠い(笑)
>
> 今月1泊2日でまた行きます。
>
> 今度は末森城・富山城と太閤山と富山市立博物館・魚津城・天神山城・松倉山城。行けたら高岡城と高岡市立博物館。七尾の小丸山城は無理そうです(笑)
>
> 富山・石川ではずっと上杉謙信・佐々成政・前田利家・柴田勝家とおいの佐久間盛政・一向一揆衆が頭をぐるぐる巡りました。
 埼玉から富山・石川は本当に遠いですね。私も何年か前に体感しました。
 私も長期休暇がなかなかとれないので、一泊強行軍でした。
 お疲れ様です。また、行けるといいですね。
読み入っちゃいました
横から失礼します。皆さんすごいですね!私は七尾と春日山に行く為に、嫁を金沢AND兼六園、富山へ観光カモフラージュした為に極めて非効率になりました。。松任や小松城はいつか私も行きたいです。
それに北条の撤退防御説も面白いですね。
歴史群像シリーズより勉強になりまーす❗️
お邪魔します。
こんにちは、自分もこの城のショボさに?でした 北条氏勝が入城した記録があったと思いますが・・・御坂城に居た人ですよね。
昨日は下界に下りた際これはイカンと、タオルで鉢巻きしコンビニに入りました(笑) バスに乗る勇気は無かったです。

私見と言うか下手な感想文ですが。
地形上 北条の従来の戦法が状況が不利になると裏山づたい山地に逃げ込み水兵から山岳部隊になるのではと
獅子浜城~鷲頭山 長浜城~発端丈山
丸山城~山奥 どれも道筋に追撃阻止構築物、集結出来る平坦地形が見られますね。(長浜城 裏山の岩尻山は五遁様好みだと思います)
戸倉城のケースも 烏帽子岳~前山~徳倉山方面 のプランだったのかと?
戸倉城要害部の兵力はせいぜい歩兵一個中隊程でしょうから韮山方面の平地をスムーズに退却するには渡河もあり失敗の可能性大ですね。
また どうも現地の指揮官の部隊と韮山城の常備部隊とは一線を画していたのではと感じるのですが・・・(軍隊では隊同士 仲悪いですし)
笠原?にいたっては後方から来たエリート将校の様ですし・・・「武田が来る!山になんか行きたくない!味方も僕に冷たいし 父さんも来てくれない・・・ブツブツ」だったと??

烏帽子岳で目を引いたのが石垣遺構でした、伊豆の山城を歩くと度々石積を見るのですが、個人的には遺構として懐疑的です。しかし 此処のは遮断部、堀切両面と往時は土橋もと、北条関係では見た記憶が無く武田館、要害山・熊城を連想しました。周辺の植生から植林に関する物では無いし、同様に近年の耕作地だった様でもない・・・これは遺構!?
疑り深いので、資料に後世石切が行われたとあり安全補強か何かで石を積んだ可能性も全く無いことは無いかな~(笑)

武田が烏帽子岳を占領していたら山頂部の防御をしない事は考えられませんね!徳倉山方面からのゲリラ部隊に追い落とされてしまいます。
今回 山頂から東尾根を10m余り下りてみたのですが幅広の平坦地形が続き山頂と合わせれば中隊のキャンプには十分な広さだと思います。

また山頂部は北条軍の撤退時の集結地であったとの思いから徳倉山方面に下りて行ったのですが途中のピークにも平場があり前山と同様に穴が掘られていました。前山、徳倉山間の峠は大堀切状で かつての八重坂もこんな姿であったのだろうと思われる景観です、いつ堀切られたか解りませんが現在も二列縱隊でないと進めません、両側には小砦の雰囲気も(気のせい?)
この辺は面白いです、まだまだ何かありそうです、また行きます。

支離滅裂な長文になってしまいました申し訳ありません、お時間がある時 読んでいただけれは結構です。
それでは失礼いたしました。
石川県に1泊2日の歴史散歩
行きました、埼玉県から激遠い石川県に1泊2日の歴史散歩。

今、白馬村にずっと居る為、白馬でレンタカーを借りて、午前9時出発。高速は使わず国道8号を使ったら逆に6時間もかかりました。空いていると思ったら意外と信号多い。失敗です(笑)

初日は午後からにわか雨の中、糸魚川市勝山城(落水城)・大聖寺城・今江城・浅井畷の古戦場。しかし、予定通り行けた所があります。津幡鳥越城です。
佐々成政が前田利家の末森城攻略失敗後に、無人の鳥越城(倶利伽羅峠近くの津幡)を乗っ取りました。その鳥越城に行けて良かったです。

3800円で朝食付きの金沢のビジネスホテル(エコノ東金沢)は良かったです(部屋が広い・駐車場無料・朝食美味しい)

2日目は松任城・手取川古戦場・小松城・一向一揆歴史館とその目の前の鳥越城(国指定史跡)。正午から大雪。鳥越城は4WDでも雪で登れず。
高速(小松IC→糸魚川IC)で白馬に戻ったら小谷村の一般道で玉突き事故。小谷村で2時間20分待ちました。

しかし、45年生きてきて2回目の石川・富山良かっです。やはり埼玉県から激遠い(笑)

今月1泊2日でまた行きます。

今度は末森城・富山城と太閤山と富山市立博物館・魚津城・天神山城・松倉山城。行けたら高岡城と高岡市立博物館。七尾の小丸山城は無理そうです(笑)

富山・石川ではずっと上杉謙信・佐々成政・前田利家・柴田勝家とおいの佐久間盛政・一向一揆衆が頭をぐるぐる巡りました。

では。
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