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五十子陣(2) ~ 叛鬼兵糧攻め!

五十子陣の最終話です。

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 神社の南東、「C」の塁壁と想像する地形です。

*1454年、鎌倉公方足利成氏が、関東管領上杉憲忠を殺害し、両家は全面戦争へと突入しました。

 足利成氏は、本拠を古河へ移し、以降古河公方と呼ばれるようになりました。


五十子陣
 繰り返し申し上げますが、歴史素人の想像ですので、信用なさらないで下さい。

*関東管領を継いだ上杉房顕は、ここ五十子に陣を構え、古河公方と対峙しました。

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 南側の天然の堀をなす、小山川です。往時の流路はもっと北側であったと推察いたします。

*1466年、関東管領上杉房顕が亡くなり、上杉顕定が跡を継ぎました。

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 「A」の部分です。左側が城内です。

*関東管領山内上杉家の家裁は、白井長尾家でした。白井長尾家の嫡男は長尾景春でした。

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 東側から「本郭」方向を撮影しました。手前より若干高くなっているのが見て取れるでしょうか。

*上杉顕定は、白井長尾家の家督相続に介入し、長尾景春ではなく、叔父に家督を継がせました。

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 この公園のあたりが「本郭」であることは、衆目の一致するところのようです。

*長尾景春は、上杉顕定の仕打ちを許すことができませんでした。

 彼は主君へ叛く鬼「叛鬼」となったのでした。

 伊東潤氏の歴史小説「叛鬼」は、長尾景春の一生を綴った抒情詩となっていますので、是非、ご一読ください。

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 公園の南側には、お城の塀を模した構築物があります。

*1477年、長尾景春は鉢形城に挙兵し、五十子陣に出入りする商人の通路をふさぎました。

 五十子陣には、兵糧が運び込まれなくなってしまったため、管領勢は五十子陣を放棄せざるをえませんでした。

 長尾景春は間もなく五十子陣を放棄したため、五十子陣はその歴史的使命を終えました。


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 上の構築物のすぐ右側に「ほんじょうかるた」の石碑があります。

 「桑茂る、五十子合戦、古戦場」

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 五十子陣からの、赤城山の風景でお別れです。

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