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五十子陣(1) ~ 管領VS公方

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成25年12月29日、五十子陣(いっかこじん)に行って参りました。

五十子アク

 埼玉県本庄市東五十子にあります。

IMG_3354.jpg
 まずは、西五十子にある「大寄諏訪神社」に立ち寄りました。

IMG_3355.jpg
 社伝によると・・・

 平将門が乱をおこしたとき、政府は周辺の豪族に討伐を命じました。

 諏訪から軍を率いて大祝貞継がやってきました。討伐軍の中心的存在であった藤原秀郷は、大祝貞継へこの地に陣を張るよう要請し、大祝貞継はそれに応じました。

 大祝貞継は、故郷諏訪神社の分霊をこの地におまつりしました。

 乱を平定した藤原秀郷が、神社の社殿を整え、新田を寄進し、大寄諏訪神社と奉唱しました。

 その後、すたれていましたが、室町時代に関東管領上杉房顕が、古河公方と対峙するために五十子に陣を構えた際、再興されました・・・とのことです。

五十子対陣
 青丸が古河公方の拠点、赤丸が関東管領の拠点です。関東管領の勢力範囲は意外と細長いのがわかります。

 一時、古河公方の勢力は、足利市やその西方へもおよびました。

 関東管領が、自らの勢力範囲を分断されないために、五十子は重要な場所であったのです。

IMG_3357.jpg
 上若電神社です。この神社の北西と南東に、遺構とおぼしき地形を発見しました。

IMG_3358.jpg
 神社の北西、下の「縄張り想定図」の「B」の場所です。周囲より窪んでいる地形が15メートルほど続いています。

五十子陣
 古図面と地形観察から想定した縄張りです。素人の想像ですので、信用しないでください。

IMG_3360.jpg
 北側で天然の堀をなす、女堀川です。

 「五十子陣第2話・叛鬼兵糧攻め!」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
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