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小田原城(5) ~ めくるめく大堀切

 小田原城の第5話です。

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 この回は、この図面ですと右側の堀切=御鐘ノ第大堀切東掘の写真を紹介します。

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 南側の見学路の入口です。このあたりは、まだ、浅いですね。

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 掘りは、先を見通せぬよう、横矢攻撃が出来るよう「折り」がつけられています。

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 「折り」の部分を振り返りました。

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 ここら辺が一番深い部分です。右側が城の中心方向で右側の方が高くなっています。

 掘は数メートル埋まっていると推察され、往時は堀底からの比高は20メートル近くあったと思われます。

*1590年、豊臣秀吉は20万とも言われる軍勢で、小田原城の総構えを包囲しました。

 小田原城の総構えの防御力は高く、豊臣勢は総構えを突破することはできませんでした。


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 教育委員会によると堀の上幅は広い場所で、30メートルにも達するそうです。

*一方、小田原城の支城は武蔵忍城を除いてコトゴトク落城したため、北条氏は降伏しました。

 秀吉は、小田原城の総構えに倣い、京都に総構えを築き、京都の人々はそれを御土居と呼んだそうです。


IMG_3149.jpg
 城の中心方向側の土塁に登り、大堀切を見下ろしました。

 めくるめく深さです。

 「小田原城第6話・大久保忠世入城」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「神奈川の城」
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Comment
Re: 兵站業務が大事ですね。
Butch様 御来訪ありがとうございます。

 おっしゃる通り、20万の兵士の食料を運び続けるわけですから、主要街道は荷車の列が途絶えることがないような状態であったと想像します。海路での運搬もあったでしょうね。
 支城には兵糧が蓄えてあったはずですから、支城を落とすたびに、兵糧をゲット出来ていたはずです。
 それでも兵糧が途切れた場合、20万の兵士は現地調達を始めることとなるでしょうね。
 北条の領民の食料は取り上げられ、北条の領民は飢え死にしていく。
 例え、20万の豊臣軍が撤退したとしても、領民がコトゴトク飢え死にした状態では領国経営は不可能ですね。
 さて、残雪の城踏査はリスクが伴いますので、安全なお城ライフをお心がけ下さい。
兵站業務が大事ですね。
こんにちは、前々回の降雪後の大堀切はスノーボードの競技コースでした(笑)
今回の雪の影響による物流、補給線の混乱を見ると、小田原包囲軍20万余り(日本の自衛官の総数と同じ)を後方支援した兵站業務には感心します、雨季をはさんでの真夏の3ヵ月ですよね~
近代戦での日本軍の人命、兵站 軽視を思うと・・・最大の功労者は兵站部でしょう!
逆に北条が冬まで籠城していたら と考えると面白いですね。
今週末は晴れそうデスネ、どこか雪の残らないところへ・・・南房総かな・・・
それでは失礼いたします。
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