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小田原城(2) ~ 謙信と信玄を撥ね退ける

 小田原城の第2話です。

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 厳密に申し上げますと、「銅門」前の枡形へ入る門のアップです。

 水堀にかかる橋は「住吉橋」です。

*三代氏康の時代、小田原城は最初のピンチに見舞われます。

 氏康は、長年関東に君臨していた関東管領山内上杉家の当主上杉憲正を関東から追放することに成功しました。

 関東の諸将は、続々と氏康のもとにヒザマズキました。


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 枡形に入って「銅門」を撮影しました。

*一方上杉憲正は、越後の長尾輝虎へ泣きつきました。

 「上杉の名乗りも、関東管領職もあなたにあげるから、私を関東へ戻して下され・・・」

 長尾輝虎は、上洛し室町幕府から関東管領就任の内諾を得ると、上杉憲正を伴って関東へと出兵しました。

 1560年のことでした。


IMG_3111.jpg
 「二の丸」に入って、背後から「銅門」を撮影しました。

*長尾輝虎が関東へ入り、諸将へ「再び関東管領のもとへ馳せ参じよ!」と激を飛ばすと、軍勢は瞬く間に膨れ上がり、10万にも達したということです。

 長尾輝虎は10万の軍勢を率いて、小田原城を包囲しました。

 北条氏康が小田原城を堅く守ったため、長尾輝虎は越後へ引き返しました。

 長尾輝虎は後に、上杉謙信と称されるようになります。


IMG_3112.jpg
 「銅門」の礎石が展示されています。

*四代氏政の時代に、小田原城は二度目のピンチを迎えます。

 北条氏は、武田家と、今川家とで三国同盟を結んでいました。

 ところが、今川氏真は、上杉謙信と組んで、武田信玄を脅かそうと企てました。


小田原公園図
 位置関係をご確認ください。

*武田信玄は、機先を制し、今川氏真を攻めようと企画しました。

 事前に北条家にも根回しがあったはずです。親族衆の北条氏照が「今川殿が滅びるのは仕方のないこと」との見解を示しています。

 ところが実際に信玄が今川氏真へ攻めかかると、隠居していた三代氏康が・・・老境に入り記憶力が落ちていたのでしょうか「そんなの聞いてない。信玄はけしからん!」と激怒し、信玄の今川攻めを阻止する軍事行動を命令しました。

 駿河への出兵です。


IMG_3115.jpg
 本丸の手前には堀があったそうです。

*信玄は、報復のため小田原城を取り囲みました。

 1569年のことです。信玄は本気で小田原城を攻め落とす気はなかったため、すぐに兵を引きました。

 1571年、隠居していた三代氏康が没すると、四代氏政は信玄との同盟を復活させました。

 氏康が没する際「信玄と和睦せよ」と遺言を残したとの話がありますが、氏康は認知症にかかっており身内の名前もわからない状態であったという記録が残っています。

 当初より信玄との関係を重視していた氏政が遺言話を捏造ではないかと私は感じています。


IMG_3116.jpg
 今は埋まってしまっていますね。

 「小田原城第3話・庭状遺構発掘」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「神奈川の城」
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