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石垣山城(6) ~ 北枡形と天主台

 石垣山城の最終話です。

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 「北枡形」です。左の石垣が崩れてしまっていますが、奥のラインはきっかりとしていますね。

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 「本丸」に入りました。往時はここに御殿が建っていたことでしょう。

*秀吉が真田昌幸に宛てた書状によりますと・・・

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 「本丸」から「二の丸」を見下ろしました。

*小田原の総構えの周囲に、堀を穿ち柵を設け、二重三重に包囲しています。

 諸将の陣所と陣所の間には隙間が無いほどです。

 海上には千艘の船を浮かべて包囲しているので、小田原城内は意気消沈しているようです。


石垣山城
 「本丸」の南西方向に「天主台」があります。

 小田原城を威圧するために天主台を設けるなら、小田原城に近い、反対側の角にするはずです。

 本丸の一番奥まった部分に天主台を設けているのは、この石垣山城が「本気で敵襲に備えて、本気で防御構想を練った縄張りであるからだ」と、指摘する専門家の方がいらっしゃいます。

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 その「天主台」です。往時は中央部分が窪んていて「石室」があったということです。

*7月5日、小田原城は開城し、北条氏は降伏しました。

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 「本丸」からの眺めは格別です。秀吉は景色を眺めながら、天下統一総仕上げのプランを練っていたことでしょう。

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 小田原攻めの際には、西国水軍の舟が埋め尽くしていたであろう、相模湾の景色でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「神奈川の城」
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Comment
Re: 素晴らしい
リュウ様 御来訪ありがとうございます。

 いつもご覧いただき、感謝です。

 石垣山城は正直、なめてかかっていたのですが、井戸郭の豪壮さには圧倒されました。
 わずかな期間であれだけの石垣をくみ上げる秀吉の財力に、北条家も圧倒されたことでしょう。

 さて、副都心の前身、武蔵滝山城のレポートの準備をしていますが、あまりの見所の多さに、もてあまし気味です。

 八王子城となれば、さらに・・・ でしょうから・・・
 滝山城のレポートがどうにかアップ出来たら、その時考えてみたいと思います。
素晴らしい
今回も楽しませていただきました!伝説の一夜城がそんな代物ではない、伊達ならね東北を視野に入れたものだということは戦国好きならみんな知ってるでしょうけど、ここまでの規模だったとは…益々五遁さんの「副都心」八王子レポートが見たくなりました〜
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