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石垣山城(2) ~ 5屈曲東登城路

 石垣山城の第2話です。

IMG_3052.jpg
 東登城路を進んでいきます。下の図面ですと「い」の脇です。

 100名以上が籠れる広さがあります。

石垣山城
 東登城路は、「南郭」と「あ」の挟撃にあう坂道を登る過程で2回方向転換を強いられ、登り切ってからは、「西郭」からの兵と、「二の丸」からの兵の挟撃に逢いながら、更に2回の方向転換を強いられ、南枡形で更に1回方向転換を強いられます。

 屈曲した部分では先の見通しがきかず、また、常に他方向からの銃撃にさらされます。

 最強の登城路ですね。

IMG_3055.jpg
 「い」の郭です。登城路への進入を阻止する第一関門ですね。

*家忠日記には、「4月9日、秀吉、大神君(徳川家康)を笠掛山の陣営に招請」と記されています。

 その後、家康は小田原城の南東に陣を構えていますので、秀吉から持ち場を指示されたのだと推察されます。


IMG_3053.jpg
 「い」から見た「南郭」の石垣の下の部分です。勾配が美しいですね。

*つまり、秀吉は早雲寺を宿泊所としながらも、配下の武将へ持ち場を指示する場所は笠掛山=石垣山城であったということです。

IMG_3092.jpg
 「南郭」と「あ」の間の登城路を見上げました。

*築城開始から4日後には、秀吉が日中を過ごせる状態になっていた。そして・・・

 「徳川殿、ほれ、あそこじゃ。あそこに陣を張って欲しいのじゃ」と指示できるほど、眺望が確保されている状態であったということになります。


IMG_3091.jpg
 同じ道を今度は、上から見下ろしました。

 中央の道が、竹柵の向こう側で直角に折れ曲がり、写真右方向へと続いているのが見て取れます。

*木を残したまま築城し、完成後、一斉に木を切り倒したので、小田原城兵は「一夜にしてこのような壮麗な城郭が出現するとは!」と驚き、戦意を喪失したとされる、一夜城伝説は伝説にすぎないということですね。

IMG_3090.jpg
 今度は、「本郭」の「南枡形」を見上げました。奥で屈曲しています。

 また、3方向からの攻撃にさらされる空間であることが見て取れます。

*私は今回、小田原城から石垣山城方面を見上げましたが、こんな至近距離で、これだけの大工事をしていて、気がつかないわけが無いというのが感想です。

IMG_3089.jpg
 「本郭」から見下ろした「南枡形」です。

 「石垣山城第3話・これが井戸なのか?」へ続く・・・・

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