HOME   »  中世城郭  »  千見城(9) ~ 破却がおこなわれたか

千見城(9) ~ 破却がおこなわれたか

 千見城の最終話です。

IMG_2805.jpg
 「東登城路1」から「D」へ至る、若干小口っぽい場所です。

*豊臣秀吉は、20万とも称される大軍で北条氏を降伏させました。

千見城東面
 東面の遺構は大変曖昧です。私が個人的にこう解釈したとご理解ください。他の解釈も成り立つと思います。

*北条氏の旧領には、徳川家康が移封されました。小笠原貞慶は徳川傘下の大名として、関東へ移ることとなりました。小笠原貞慶の旧領には石川数正が入ることとなりました。

 そんな引越しのどさくさにまぎれて、上杉軍が千見城と青柳城を奪取するという事件が発生しました。


IMG_2806_20131210160642dc3.jpg
 「D」の郭から、「E」を見上げました。

*上杉配下にあった大日方氏や青柳氏が、上杉家の北信濃方面司令官須田満親へ「我々を旧領へ戻してくだされ、頼みいる。この通りじゃ」と泣きつき、かつて信玄に所領を奪われた経験がある須田満親が、情にほだされて頷いてしまったのでしょうか。

 それとも上杉景勝自身が指令を出したのでしょうか。記録は無く、真相は闇の中です。


IMG_2804_20131210161304e37.jpg
 「D」から「東二郭」へ至る通路・・・と私が解釈した部分です。

 「東二郭」からの頭上攻撃にさらされながら進んでいくと、正面に「C」郭が現れ、今度は「C」郭と「東二郭」との挟撃に逢うのが見て取れます。

*引っ越してきたら領地が減っていた石川数正は、秀吉に「こんなことがあるんですけど」と申し出ました。

IMG_2803_201312101617059e6.jpg
 「C」郭の突端です。

*上杉景勝は、「千見城は元々大日方氏の領地だった。それを小笠原貞慶が横領したのだ。」と主張しました。

 しかし、豊臣政権は、景勝へ城と領地の返却を命じました。


IMG_2802.jpg
 「東堀切」のアップです。

*せっかく故郷の地に戻れて喜びに浸っていた大日方氏一族の苦渋は深かったことでしょう。

 千見城を石川氏へ渡す際、いつでもまた奪還できるよう、自分たちが再度攻め登るであろう東側の土塁を崩し、小口を埋める等の破却工事が行われたのではないかと推察いたします。


IMG_2800_20131210162818a89.jpg
 先ほどの写真からアングルを引きました。このあたりは城の防御上大変重要な場所だと思われますが、曖昧なのはやはり、破却が行われたのだと・・・

 それでも通路へ「B」から横矢がかけられるようになっているのが見て取れます。

IMG_2798.jpg
 「本郭」に入りました。右側の窪んでいる部分が、東二郭からの「小口」であったと思います。

IMG_2792.jpg
 「小口」を別角度から撮影しました。往時はしっかりした枡形があったのが、埋められてしまったのかもしれません。

IMG_2797_20131210163903cb3.jpg
 本郭です。

*上杉景勝が会津へ移封されると、大日方一族の多くは農民として故郷に帰ったそうです。

 また、真田氏が松代藩へ移った際、真田家に仕えた大日方一族もいたということです。

 故郷とはかけがえのないものなんですね。

 文末となりましたが、ご案内いただきました「らんまる様」「でいびす様」・・・

 ご厚情、感謝申し上げます。


 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
スポンサーサイト
Comment
Re: 連載お疲れさまでした
らんまる様 御来訪ありがとうございます。

 いや~ いじめないで下さいよ~
 素人の妄想ですから~

 千見城は雪の中ですか・・・ 新潟も・・・ 秋田もですね。
 箱根が雪なのに、南上州には雪が無いのは、不思議ですね・・・
連載お疲れさまでした
毎回興味深く読ませていただきました。
百戦錬磨の方が見ると「城割」までわかるんですね、さすがでございます。
青柳城と千見城は景勝さんにとっては遺恨の城なので、どさくさに紛れても分捕りたかったのでしょうねえ(笑)
千見城は今頃100cm以上の雪に埋もれていることでしょう。
またのお越しをお待ちしております。
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード