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千見城(7) ~ 大日方佐渡守の失態

 千見城の第7話です。

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 「南四郭」内から、小口郭への「小口」を撮影しました。

*小笠原貞慶は安曇郡の安全を確かなものとするため、周辺の上杉方の城を攻略することとしました。千見城南面
 「帯郭」に取りついた攻城兵は「南四郭」からの攻撃にさらされながら、尾根の先端方向に戻っていかなくてはなりません。

*小笠原貞慶は、武田信玄ばりの陽動作戦を企画しました。

 1584年2月、千見城を奪取するために、兵をまず、千見城南方の青柳城へ進めました。


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 「帯郭」が幅を狭めていき「南四郭」へと合流する様子です。

*大日方佐渡守は、千見城を出て、青柳城の救援に駆けつけました。

 小笠原貞慶の別動隊は、手薄となった千見城を楽々と奪取し、大日方氏の領土を制圧してしまいました。

 青柳攻めの部隊はオトリですから、千見城が奪取されたのを知ると、スミヤカニ撤退しました。

 小笠原にとっては、損害なしの大収穫でした。


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 「南四郭」の中心部から、尾根の先の方向を撮影しました。

 「南四郭」は2~3百人が駐屯できる広さがあります。

*一方、大日方佐渡守にとっては、大失態でした。

 千見城と小川村・鬼無里を敵に取られ、青柳でも小笠原勢に逃げられた大日方佐渡守は、上杉景勝の逆鱗に触れました。

 景勝は大日方佐渡守が敵に内通しているのではないかと疑い、詰問使を差し向けました。


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 「南四郭」の中心部から、尾根の上の方を見上げました。削り残しの土塁があります。

*勢いに乗った小笠原軍は、3月下旬に牧之島城へ攻めよせました。

 上杉軍はこれを撃退すると、敵の撤退に着け入り、千見城を奪回しました。


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 「南三郭」から下を見下ろしました。

 「南四郭」と「南三郭」の隔絶は大きく、守兵が少ない場合は、「南四~七郭」は放棄されていたことと思われます。

*上杉景勝は、須田氏へ千見城への在番を命じました。

 大日向佐渡守への信用はスグには回復されないのでした。


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 「南三郭」の東側には「土塁」が盛られています。

*その頃小笠原貞慶は、徳川家康の傘下に入っていました。

 徳川家康は、上杉景勝を窮地に陥れる秘策を持っていました。


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 「南二郭」から「本郭」への通路へは、土塁が張り出し、横矢攻撃が可能となっています。

 土塁と土塁に挟まれた「小口」へは左右の土塁上からと、正面の本郭からの三方向からの攻撃が仕掛けされ、突きあたった場所で屈曲させられます。ナカナカノ技巧性ですね。

 「千見城第8話・奪回に次ぐ奪回」へ続く・・・

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