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丸岩城(3) ~ 海野源六郎蜂起

 丸岩城の最終話です。

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 「F」の部分です。

*1582年、武田家が滅亡すると真田昌幸は、織田信長配下の滝川一益に従いました。

 織田信長が本能寺の変に倒れると、滝川一益は北条氏直に敗れ関東を去ります。


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 「G」の部分です。

*北条氏直は上野の大半を手に入れると、須賀尾峠を越えて真田領へ侵攻しようとしました。

 真田昌幸は、丸岩城へ湯本氏、西窪氏、横谷氏、鎌原氏を交代で在番させ、北条勢に備えさせました。    


丸岩城北東
 「Z」の下は巨岩の断崖なので守る必要はありません。

 旗を林立させて、小勢を多勢に見せかかる為の空間だったのでしょうか?

*真田昌幸は、北条氏直の圧迫に屈し、北条氏の傘下に入りました。  

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 「Z」から「北尾根」方面を撮影しました。

*北条氏直は、真田昌幸を従え、無主の地となった信濃へ侵攻し、川中島にて上杉景勝と対陣しました。

 やがて北条氏直は甲斐へ転戦し、真田昌幸は自領に残りました。    


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 「H」から見上げた「東尾根」です。岩盤に守られています。

*上杉景勝は真田領を混乱させる隠し玉を持っていました。

 真田昌幸に自刃させられた海野一族の、海野源六郎でした。  


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 「東尾根」から見た「本郭」の塁壁です。

*1584年3月26日、上杉景勝は、北信濃の豪族須田信正と市川信房をして、海野源六郎を補佐させ、丸岩城を奪取せしめました。   

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 「本郭」に入り、「東尾根」方向を振り返りました。

 10人籠ればいっぱいの狭さです。

*3年ぶりに海野家を再興した海野源六郎はこの本郭にて感慨にひたったことでしょう。

 海野源六郎は、真田の配下で北嬬恋に勢力を張る湯本氏へ調略の手を伸ばすなど意気軒高でした。

 しかしその直後、上杉景勝配下の屋代秀正が真田方へ寝返る事件が発生し、上杉景勝は海野源六郎へ援軍を送るどころではなくなってしまいました。


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 「本郭」から見下ろした吾妻川流域の風景です。

*それ以降、海野源六郎に関する記録は無く、同地は真田昌幸の支配に帰している為、海野源六郎の蜂起は短期間で鎮圧されたのではないかと推察されます。

 巨大勢力のはざまで、使い捨てられる小豪族の悲劇がここにもありました・・・


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 西側からの遠景でお別れです。

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Comment
いつもコメすみません
毎度コメントいただきありがとうございます。時間も金も欲しいなぁ…私は大きく括れば不動産です。出張はほぼありませんが、広島に行った際には広島城の広大な水堀を見て来ました!
Re: なるほど
リュウ様 御来訪ありがとうございます。

 家族サービスは大切です。家族あっての城巡りです。
 おっしゃる通り、人間いつ死ぬかわかりませんから好きなことをするのが一番です。
 一方、いつまで生きのびてしまうかわからないので・・・
 私自身福祉職にありながら、今回、親の介護から死亡、後始末までの流れは想像以上
の大変さでした。

 実際問題として、時間と金がいくらあっても足りない・・・
 それだからこそ、その時が来るまでに、家族を大切にしておかないと・・

 何を言いたいのか・・ 申し訳ありません・・・
 人生に正解はありませんね。それがまた楽しい!
なるほど
お疲れ様です。私は佐野アウトレットで家族サービスし、今日は一日仕事ですがそれなりに休みは満喫できました!ようやく結婚式が来年で落ち着くなあと思っておりましたが、もう少ししたら葬儀なのですね。子育て真っ最中ですが次は介護でしょうし、人生とははかないですね。いつ地震がくるやもしれませんし、やはり迷ったら登城ですね(笑)
丸岩、高速降りたらそびえ立つあの山かなと思う所が…次は岩櫃と合わせて行ってみたいです!
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