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図解小倉城(8) ~ 側撃通路

 小倉城の最終回です。

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 「本郭」への小口です。

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 小口を抜けても狭い通路が続き、「詰郭」からの側面攻撃にさらされ続けます。この様な構造は同じ武蔵の同じ北条系の「滝山城」にも見られます。

小倉城本郭東
 敵の大軍が攻めよせるのは、二郭方向からと想定し、二郭と反対側に「詰郭」を置いたのだと思われます。

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 「本郭」から「詰郭」方向を振り返りました。

*藤木久志著「戦国の城」によりますと・・・

 発掘調査の結果、遺構の年代は15世紀末から16世紀後半と理解されるそうです。


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 「詰郭」の段差のアップです。

*15世紀末と言えば、長尾景春が関東管領上杉顕定へ反旗を翻し鎮圧され、今度は大田道灌が謀殺され、長享の乱に突入するあたりですね。

 山内上杉と、扇谷上杉の合戦はこの近辺で繰り返されていましたので、小倉城も軍事拠点の一つとして、当地を管轄していた上田氏により築城されたのかもしれません。


IMG_2037.jpg
 解説版がありますね。

 「この城は、石垣、縄張りの点で優れた遺構を今日に残しており、東国の戦国期中小山城を代表する史跡である」と記載されています。

 まったくもって同感です。


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 「詰郭」です。城主が緊急時に籠る建築物があったと思われます。

*大変技巧的な遺構が観察しやすい状態に保存されています。

 初心者からマニアまで、全てのお城好きの皆様へお薦めの城です。


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 居館跡「大福寺」側からの遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
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