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御坂城(4) ~ 武田旧臣蜂起

 御坂城の第5話です。

御坂城北面
 今度は北側から見たイメージ図です。

 御坂城は北条が築城し、敵の徳川勢は北側から攻め上がって来る可能性が高いため、南面より多大の普請と工夫がつぎ込まれてます。

 このレポートでは、全体図の一番右側、「西上郭」の解説をしたいと思います。

御坂城西上郭
 西上郭は全体に城外から、城内方向へ下っています。

 また、城外から攻められることへの備えに加え、攻城兵が城の中心部を制圧してしまった際に、撤退の時間稼ぎが出来るように工夫されているのも特徴です。

IMG_1843.jpg
 図面とは反対方向、城外から見た「西上郭」への土橋です。

*御坂城への押さえとして派遣されていたのは、鳥居元忠です。

 鳥居元忠は、姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦いに参加した歴戦の勇将でした。


r1843.jpg
 少々わかりにくいと思いましたので、イメージを助ける線を入れてみました。

*北条軍は1万、鳥居元忠率いる徳川勢は千五百とも二千とも言われています。

 5分の1の軍勢で、野戦に挑む・・・

 絶対的に不利な状況でも、鳥居元忠は臆することはありませんでした。


IMG_1850.jpg
 土橋を北側の竪掘の底から見上げました。我ながらナイスショットですね!

 私の描写力が追い付かなくて図には反映されていないのですが、北条の堀底は、斜面がクロスしていて先を見通せなくしているのがみそですね。

*鳥居元忠は、北条勢が充分に分散したのを確認すると、各個撃破していきました。

 北条勢は崩れたち、御坂城目指して撤退を始めました。

 鳥居元忠は、逃げまどう北条勢を次々と打ち取っていきました。


IMG_1837.jpg
 イメージ図左下に描いた横堀です。

*記録では、この時、鳥居元忠が退却路にあたる上黒駒で退路を遮断したとされています。

 平山優著「天正壬午の乱」では、小勢の鳥居勢が退路を遮断できたかに疑問を呈し、上黒駒の在地衆がこのとき、鳥居元忠勢に加勢したとの伝承が現地に残されていることを紹介しています。


IMG_1838.jpg
 「西下郭」から「西上郭」方向を見上げました。高低差があることを視認して頂ければ幸いです。

*徳川家康は、武田の旧臣、依田信蕃や横田甚五郎、曽根昌世などを重く用いておりました。

 武田旧臣である上黒駒の在地衆は、ここで徳川に加勢すれば自分たちも手厚く処遇してもらえると判断したことでしょう。


IMG_1841.jpg
 「C」から、「B」を見上げました。「C」は半枡形的空間になっています。

*北条勢は、上黒駒に打ち込まれた楔により、2分されてしまいました。

 上黒駒と御坂城の間にいた北条勢は問題ありませんでしたが、上黒駒から下方にいた北条勢は前後から徳川勢に挟撃されることになってしまったのです。


IMG_1842.jpg
 「A」の空間です。土塁に囲まれています。写真の右側の土塁が低くなっている場所のすぐ右に、土橋からの小口があります。

 「御坂城第5話・おののく北条勢」へ続く・・・

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