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御坂城(3) ~ 黒駒合戦

 御坂城の第3話です。

IMG_1814.jpg
 東上郭に付属する腰郭の写真です。

御坂城東上郭
 「B」から、図の左側の斜面を迂回して、「東上郭」へ攻め込む攻城兵への備えとして、「横堀D」が普請されたと思われます。

*北条勢は、多方面から攻勢をかけ、徳川軍を攻囲しようと試みました。

 8月9日、北条勢は笹子峠を越えて徳川方の大野砦を攻めましたが、落とせず撤退。


IMG_1815.jpg
 「腰郭」から「横堀D」を撮影しました。藪でわかりにくい部分を白線でなぞっています。

*8月10日、北条勢は中道往還の本栖城を攻めますが、落とせず撤退。

 圧倒的に有利な兵力を持ちながら徳川を攻めあぐねる現状に、北条家は焦り始め、大軍での軍事行動で打開しようとしました。


IMG_1817.jpg
 これも「横堀D」の写真です。左上が「腰郭」です。

 堀の上幅は2メートルほどでしょうか? この城の中ではかなり幅の狭い堀です。

*隠居しながら実質当主としての権力を維持していた北条氏政は、弟の北条氏忠へ1万の兵を預け、御坂城へ向かわせました。

御坂城南面
 「東下郭」の脇の斜面には大規模な横堀が配置されています。

*北条勢は、8月12日、早くも御坂城を出立し、甲府盆地へと攻め下りました。

 黒駒合戦の始まりです。

 北条氏忠は兵を二手に分けました。
 
 一隊は東方面、もう一隊は西方面。

 圧倒的に有利な兵力を保持する北条勢としては妥当な作戦と思われましたが・・・


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 これがその大規模な横堀です。10メートルほどでしょうか。

*北条勢が拠点とした御坂城は標高1500メートルを超え、食料を運び上げるだけでも多大な労苦が必要でした。水の手も1万の軍勢の喉を充分に潤すことは難しかったことでしょう。

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 先ほどの堀の先をたどって下って行きました。「東下郭」から離れて斜面を下り始めるあたりです。

*徳川勢の反撃が無いと安心すると、北条勢はてんでバラバラに散り、略奪を開始してしまったのです。

IMG_1816.jpg
 「東上郭」から、「東下郭」方向を見下ろしました。

 「東下郭」は、私にはただの斜面にしか見えませんでしたが、複数の先人が郭として扱っていらっしゃるので、右に倣えしてみました。

 「御坂城第4話・武田旧臣蜂起」へ続く・・・

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Comment
伊那の城
でいびす様 御来訪ありがとうございます。

 でいびす様のこのところの伊那の城の記事の充実度は半端ない! 
 無名の城に光を当て、丹念に調べ上げていくその姿勢、頭が下がります。
 史跡の認知、保存、活用に、必ずや力となると思います。
 相互リンクありがとうございます。
 今後ともよろしくお願いいたします。
お世話になっております。
いつも拝見させていただいています。
いつもながら精力的に回られているようでうらやましいかぎりです。
鉢形城も地元でしたのでとても興味深く見させていただき参考になりました。
リンクの件ですがどうもありがとうございました。
こちらもリンクさせていただきましたので
どうぞこれからもよろしくお願いします。
またご一緒できたらうれしいです。
Re: 天正壬午の乱について
Butch様 御来訪ありがとうございます。

 天正壬午のシュミレーションをいろいろとするのは楽しいですよね。
 三沢小屋が早々に陥落して、依田さんが戦死していたら、真田昌幸さんも徳川につかなかったでしょうね。
 私の個人的感想を申し上げると、北条の軍略は理にかなっていると思います。兵士の戦闘力が対等であれば、北条はあの作戦で勝利を収めたのではないでしょうか?
 決定的なのは兵士の戦闘力の差だと思われます。
 川越合戦以降、北条は関東で優位な立場にありましたので、優位な兵数で対陣して、敵を屈服させる戦略か、籠城して敵をやりすごす戦略ばかりで、熾烈な野戦をあまり経験してこなかったので、兵士の戦闘力が低下していたのかもしれません。
天正壬午の乱について
こんにちは、本日は祝祭日ですので家で過去の記事等読ませて頂いています。壬午の乱は戦国史の中でも特異な状況での軍事行動ですよね、よく地図上でシュミレーションして楽しんでいますが、皆一様に北条軍の戦略・作戦が「なっていない」になります。文献・書物は苦手な我々が妄想した「北条軍最高指揮官だったら」に少々お付き合い下さいませ、まず佐久侵攻~上杉との停戦協定後本隊は小田原に帰還、佐久平に一個師団駐屯させ周辺の掌握(南下はNG) 郡内に一個師団置き内二個大隊程度を御坂峠・笹子峠に配備(しなくてもOK)小田原に帰還した本隊は8月中に東海道を富士川まで進軍(徳川新領・無血進軍)布陣、両軍共に主力決戦は絶対NGですのでここで和平案でしょう、以上我々の妄想シュミレーションの大筋です(笑)史実の講和条件に関しましても徳川が圧倒的に得をしたとの見解が多数のようですが、退路を絶たれる危機はありましたし、その後の両家の関係から考え徳川から北条には今回の軍費一切+郡内の譲渡金が支払われた円満解決であったと思っています。それでは御坂城に関しましても投稿させて頂きたいと思っていますので宜しくお願いいたします、勝手な内容の投稿でお許し下さい、失礼します。
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