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御坂城(2) ~ 天正壬午の仇花

 御坂城の第2話です。

 御坂みちは、甲斐府中と郡内富士吉田を結ぶ主要街道で、御坂峠は甲斐の中心部と郡内地方を隔てる要衝でした。

*武田信玄のお父さん、武田信虎は、郡内の小山田氏と抗争を繰り広げ、最後は屈服させています。

 その頃に小規模な普請がなされていた可能性はありますが、現在の規模の御坂城が構築されたのは「天正壬午の乱」に際してです。

御坂城南面
 南側から見た全体イメージ図です。

 御坂城は規模が大きいので、全体図では細かい普請を省略して描写せざるをえません。そこで、全体図で各パーツの位置を確認いただき、その上で各パーツのより詳細な図面を提示し、縄張りの解説を進める段取りとさせていただきます。郭名は勝手につけさせて頂きました。

 富士吉田から、古府中へ至る街道「御坂みち」の「御坂峠」を中心に置き、東西の尾根沿いの高所にまで普請をしています。

 私は東側から踏査しました。

御坂城東上郭
 東側から見た「東上郭」です。

 「B」と「A」の間の堀底道を右側へ下ると、下りきった後、登る屈曲通路となっています。

 「C」の小口では左右からの攻撃と、正面頭上「東上郭土塁上」からの攻撃、つまり三方向からの攻撃にさらられることになります。

IMG_1801.jpg
 左側が「B」、中央が堀、堀は奥で角度を変えています。右側が「A」です。

*1582年3月、武田氏が滅亡し、織田信長が武田領を接収しました。

 しかし、同年6月、織田信長が本能寺の変に倒れると、織田家は旧武田領を維持できなくなりました。


IMG_1803.jpg
 「A郭」に立つと「東上郭土塁」から至近距離での射撃にさらされることが見て取れます。

*信濃川中島には上杉景勝が侵攻しました。信濃佐久と甲斐郡内には北条氏直が侵攻しました。

 織田家の傘下であった徳川家康は、せっかく織田家が手に入れた甲斐・信濃を敵対勢力へ渡さぬため、織田家の許可を得て信濃伊奈と甲斐へ出兵しました。


IMG_1805.jpg
 「A郭」を乗り越えて、「A郭」と「東上郭」の間の堀底に立ちました。

 「C」の小口です。藪でわかりにくかったので線を加えてみました。

*北条氏直は、佐久経由で甲斐へ入り若神子城に布陣しました。

 徳川家康は甲斐の中心部を押さえると、新府城に着陣しました。


IMG_1807.jpg
 「東上郭」の図右側の横堀は延々と続いています。

*甲斐郡内を制圧していた北条の別働隊1万は、甲斐の中心部を見下ろす御坂峠に布陣し、徳川勢の背後を襲う姿勢を見せました。

 このとき別働隊の武将、北条氏忠、北条氏勝らにより、御坂城が普請されたと考えられています。


IMG_1808.jpg
 更に続いています。

*徳川家康は、歴戦の勇将鳥居元忠に2千の兵を託し、御坂城の北条勢への押さえとしました。

IMG_1813.jpg
 「東上郭」に入りました。200人以上駐屯できるスペースが確保されています。

 「御坂城第2話・黒駒合戦」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「山梨の城」
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