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超図解鉢形城(12) ~ 折り付き二段土塁

 鉢形城の第12話です。

鉢形二郭
 「二郭」の防御は縄張りの英知が結集しています。

 荒川断崖と、深沢川の渓谷に挟まれてただでさえ狭い攻め口を、更に「送り泉水」で狭めています。

 両端に馬出しを設けて、小口の防御を強化するとともに、伏兵の突出を容易にしています。

 馬出を無視して、正面突破しようとすると、「障子堀」によって行動を制約され、「折り付き二段土塁」からの攻撃にさらされます。二段にしているのは、鉄砲の射撃力を2倍にするためであると推察いたします。


 現状は図右側の「馬出」と「秩父郭」の間の堀が埋められ、「逸見郭」からの土橋周辺も埋められてしまってるのが残念です。

IMG_1448.jpg
 北側から「二郭」の堀を撮影しました。右側が「秩父郭」、左側が「二郭」です。

 堀底に「障子」の盛り上がりを復元し、柵を設置しています。

*武田信玄は鉢形城についで滝山城を攻め、ここにも大打撃を与えました。

 そしてついに北条家の本拠小田原城を囲みました。


IMG_1460.jpg
 今度は南側から、北側を撮影しました。

 左奥が「秩父郭」、右側が「折り付き二段土塁」です。

 現状は、「秩父郭」の方が高く見えます。

 往時は「折り付き二段土塁」の方が高かったと思うのですが・・・

*武田信玄の目的は、当時北条と武田の主戦場であった駿河の北条兵を武蔵や上野へ分散させることにありました。

 信玄は目的を達成したと考え、甲斐へ撤退を開始しました。


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 発掘調査の結果、「障子」をなす「畝」が検出されたそうです。

*若き北条氏邦は、信玄へ一矢報いようと、2万の軍勢で鉢形城を出陣し、信玄の帰路をふさぎました。

 山中で信玄を拘束している間に、小田原から本家の軍勢が出撃すれば、信玄を挟撃、殲滅出来ると考えたのです。


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 「二重土塁」の上から南側、「馬出」方面を撮影しました。

*しかし、武田軍は山岳戦での経験が豊富で、信玄の戦略の方が一枚も二枚も上手でした。

 北条氏邦の軍勢は、慣れぬ山中で、別働隊の奇襲に混乱し、大敗してしまいました。


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 図右側の「馬出」です。この周辺の堀が埋まったままのので今後復元してくれるとありがたいのですが・・・

 しかし、そうするためには貫通する公道を破壊せねばならず・・・難しいのでしょう・・・

*隠居しながらも隠然たる力を保持していた北条氏康が亡くなると、北条家当主北条氏政は、武田家との同盟を復活させました。

 すると今度は上杉謙信が鉢形城下へ攻めよせました。1574年のことでした。


r1463
 「馬出」から眺めた「逸見郭」方面です。

*謙信は鉢形城下へ放火すると撤退していきました。

 その頃の鉢形城は、謙信の率いる数千の兵だけでは攻めようがないほどに、強化されていたのでありましょう。


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 「二郭」に入りました。千の兵が楽に駐屯できる広さです。

 「鉢形城第13話・渡河食違土塁」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
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Comment
Re: 箱根古城について
Butch様 御来訪ありがとうございます。

 実は護応土城のレポートの為に静岡へ行った際、徳山城の下調べをしました。護応土城から徳山城の支城清水砦のすぐ下まで林道が伸びていました。清水砦と徳山城はさほど比高も無く、隣接しております。登ろうと思ったのですが、ブヨの大群に迎撃され撤退しました。ブヨがいない季節に再度トライしたいと思っております。
 徳願寺城は知りませんでした。勉強になります。有難うございます。
 箱根古城はそれほど藪がきつくありませんか。情報有難うございます。この冬のうちに行きたいと思います。
 根府川要害は「戦国の堅城」に縄張り図が掲載されていますね。機会があれば訪問したいと思うのですが、所沢からは意外と行きにくい場所なんですよね・・・
 薩田山は、スゴイ遺構とおっしゃる方がいらっしゃれば、よくわからない・・遺構は確認できなかったとおっしゃる方もいますね。地図上で位置は特定できているので、ここも遠からず訪問したいと思います。
 三増から甲斐方面にかけての城は、城訪人の史進様がお詳しいのではないかと記憶しております。
 知りたい城が次から次へと出てきて、嬉しい限りです。

 今後も情報交換で、相互に充実したお城ライフを楽しめるとありがたいです。
箱根古城について
こんにちは、御多忙の所 連日の投稿お許し願います。昨日は静岡市内から護応土城に向かいました、おかげさまでスムーズに到達する事が出来ました、その後ですが徳山城・安部城は比高に怖じ気づきパス、徳願寺城に行きました、なまった体にはキツかったですが登った甲斐のある貴重な遺構が広範囲に見られ大満足出来ました。 箱根古城ですが昨年12月に訪れました、一帯が杉林のため(植林恐るべし)展望がきかないのが残念ですが足元は丈の低い笹藪で探索に支障は無かったです、山中城に寄ってからの訪城でしたので、余計にミニミニ山中城感が楽しめました。 ところで近年自分は純軍事要塞の探索を楽しんでいるのですが後北条氏関係の根府川要害(全体像が?)薩田山(確信できる遺構が見つかりません)三増・中峠周辺(防塁?何の為?)これらの物件に対し楽しく悩んでいます(笑)もし何かの機会がありましたら五遁様に考察して頂けたらと思います。それでは今後も楽しませていただきます、失礼します。
Re: 楽しませていただいています!
Butch様 御来訪ありがとうございます。

 御応土城へいかれましたか。交通の便の悪いところなので大変だっと思います。
 Butch様もやはり解釈に困られましたか・・・
 ジグザグ掘は、あまり防御に役立っていると思えないんですよね・・・
 それなのに結構鋭く普請されているんですよね・・・
 郭群もあるんですが、脇の尾根は楽にスルー出来て、上から攻め下られてしま
うんですよね。本郭背後の尾根は、堀切どころか切岸も無いんですよね・・・
 あの時代は、山上をあいまいにならしておけば城とされたと理解するしかない
のでしょうか?

 さて、箱根古城に行かれたのですね。私はまだなのです。ターゲットにはいれ
ているのですが。藪はどうでしょうか? 縄張り図を見ると小規模ながら技巧的
なように見えますね。

 鉢形城レポートへのエール、有難うございます。
 おっしゃる通り、秩父郭が本郭だと勘違いして帰る方は少なくないでしょうね。
 鉢形城は道路が貫通しているので、攻防の要所が破壊されていますね。
 そこがフラストレーションですよね。
 私も二郭馬出し付近や、二郭から本郭にかけての構造を今回初めて、頭の中で
整理できて、ようやくスッキリできました。

 白井城は、堀が浅くなってはいますが、基本構造は確認できるので、有り難い
限りですね。

 それでは! またの起しを楽しみにさせて頂きます!
楽しませていただいています!
こんにちは、護応土城に行ってきました(帰りの車中です)五遁様の記事を大いに活用させて頂きました。広範囲をじっくり見て来ましたが、う~ん解釈の難しい「城」ですね、地勢に無知な素人の私見ですが、昨年訪れた箱根古城(ミニミニ山中城)に似ているな~と思いました、尾根のジグザグ堀は防御・遮断物とは思えず左右・虎口状ヵ所に柵を設ければ西方からの厳重な関所道になるな~と、下堀は時代が下った古道ではと?北面の屈折竪堀状、郭群も難しいですね植林山ですからそれに関する可能性もあるかと、私的には関所に付随した城砦であったのではと見ました、多くの方の見解を聞きたい物件ですね。 鉢形城のリポート大変楽しませて頂いています知名度の高い城ですが大手筋の構造がどの様に実戦で機能したかの考察は初めて拝見しました。何度か既成の縄張り図を手に訪れましたが現状と照らし合わせても自力ではサッパリでフラストレーションが溜まる城です、致命的な事に現整備状態が主郭方面からの攻撃に備えた構造と錯覚してしまうのです(笑・それらしく見えませんか?)100名城で来ている人も秩父曲輪を主郭と思っている方がいるのでは・・・五遁様の記事で中世後期と近世初期の戦略を読み取れる面白い城で有ることが確認できますね、同じ崖端城郭でも白井城の方が大規模な小銃主力の戦闘では有効な陣地だったと(完成は17世紀?)思いました。それでは支離滅裂な文章で失礼しましたm(__)m
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