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超図解鉢形城(11) ~ 二郭北馬出

 鉢形城の第11話です。

IMG_1441.jpg
 「秩父郭」の北東部分、「二郭」との接点に小さな保塁があります。

 堀に囲まれた左側の部分です。

鉢形二郭
 イメージ図です。笹郭設置の想定復元立体模型から起こしました。破壊された現状とは異なる部分があります。

 この図には「北馬出」と表示してあります。

 メインの馬出は、図の右側の「馬出」です。攻城兵が「馬出」へ攻めよせた際、「北馬出」から伏兵を出撃させ、背後を突く作戦です。

 北条と武田の縄張りは、「ただ守るだけではなく、こっちを攻めればあっちから、あっちを攻めればこっちからといった攻防を仕掛けることにより、攻城兵へ出血を強いて、攻城を断念させる」ことを意図しています。

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 角度を変えて、「北馬出」西側の堀のアップです。

*藤田氏へ婿養子に入ったのは、北条氏康四男の氏邦でした。

 その頃氏邦は幼少であった為、藤田家への指示は、北条本家から通達されていたのではないかと思われます。


IMG_1444.jpg
 解説版がありますね。

*1561年、上杉謙信が関東管領上杉憲正を奉じて、関東を席巻し、藤田氏の一部と秩父衆が上杉謙信へ加担ししました。

 この時の、北条氏邦と鉢形城に関する記録は見当たりません。


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 復元木橋があります。行ってみましょう!

*上杉謙信が関東を去った同年末、北条氏邦は秩父衆の帰参を認め、本領を安堵しています。

 北条家は謙信に荒らされた領国を次第に回復していきましたが、謙信の再攻勢に備えて、防衛拠点を強化する必要に迫られました。


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 渡り切りました。狭いです。籠れて20名程度でしょうか?

*北条家は、北条氏邦を、関東管領山内上杉の居城であった鉢形城へ据え、関東の支配者が交代したことを印象づけるとともに、鉢形城を拡張、改修して、防衛拠点としての機能を強化しました。

 1564年頃のことであると考えられています。


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 「北馬出」から「二郭」へ向けて土橋が伸びています。

*1569年、鉢形城は敵の大軍に包囲されました。

 その軍勢は、上杉謙信ではなく、武田信玄でありました。


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 土橋の先には、土塁に挟まれた「北小口」があります。

 ここでも通路が屈曲し、横矢がかけられています。

*武田信玄は諏訪氏へ書状を出し戦況を報告しました。「西上州へ出張しました。御嶽城へとりかかったところ、敵勢百余人を打ち取りました。その後、鉢形城へ移動しましたところ、外郭で合戦となり、敵の手負いと死者は数えきれないほどでした。」

 武田にやられてばかりでは・・・ 成長していた北条氏邦は信玄への仕返しを実行することにしました。

IMG_1455_20130927075259352.jpg
 「二郭」内部から「北小口」を撮影しました。

 「鉢形城第12話・折り付き二段土塁」へ続く・・・

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